青天井で残業代がつけられた手取り給料50万円以上のアルバイト
娘は就職活動に見切りをつけて、アルバイトとして大手広告代理店で働き始めた。
「社会人合コンで知り合った男性が、紹介してくれたみたいで、意気揚々と仕事に行っていました。あれは23歳の時かな。おしゃれして出勤するようになったのよね。広告代理店にバイトが決まったと言うの。入館証を胸から下げて、嬉しそうに出かけて行ったんです」
美人で明るく利発。気が利く娘は広告代理店のアルバイトを10年間も続けてしまった。
「当時はバイトとはいえ、経費も使いたい放題だったみたいで、“ママ、銀座でお寿司を食べましょうよ”と誘ってくれて、2人で出かけたこともありましたね。忘年会で旅行券を35万円分も当ててきて、夫と私と娘の3人で、ハワイに行ったこともいい思い出。いい時代もあったんですよね」
問題は、この10年間、娘は責任がある仕事を一切しなかったこと。克夫さんは指摘する。
「おそらく、自分からやろうとしなかったんだと思う。ノルマや締め切りに追われていれば、もう少し打たれ強くなっていたと思う。昼から出社して、朝まで働いて、休みを取っては、同僚とニューヨークだ、パリだと遊びに行っていた。責任ある仕事をしている人は、そういうことはできない」
就職浪人のつもりが、10年間もその会社にいたのは、残業代が青天井でつけられたから。
「娘の給料明細を見たら、50万円を超えていた。残業代が月に150時間を超えていた。私の業界では考えられない。そして、24、25歳くらいのときに一人暮らしを始めた。ここから10年間のことはよくわからないけれど、若いうちにいい思いをしては、社会人として長く働けなくなる」
父親の心配通りになり、33歳の時に娘のアルバイトは終わる。会社が自前でアルバイトを雇わず、派遣社員に切り替えたのだ。とはいえ、真面目に働いていたから、関連会社の契約社員になった。
「お給料が半額以下になったのよね。それでも、娘は都心の一人暮らしを続けた。家賃7万円のマンションだったし、娘も納得して楽しそうにしていた。さすがに危機感を持って仕事をしていたみたいだけれど」
【雑用係ではなく、金を稼ぐ人材が欲しいと言われるようになり……~その2~に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。