取材・文/沢木文

親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。

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息子がコロナ禍中に一人暮らしの部屋で自死をした

東京都郊外に住む吉池篤子さん(仮名・72歳・無職)は、息子(40歳)が亡くなってから半年が経過したという。

「息子の事ではかなり苦しんだので、もう落ち着いたというか……でも、可愛かったころを思い出して、涙が出ることもあります。10年以上会っていなくて“あの子はどこかで生きていればいい”、“便りがないのがよい便り”と自分に言い聞かせていたんですけどね」

息子について聞くと「これも供養になりそうな気がする」と篤子さんは言った。

「上に5歳上の姉がおり、待望の男の子で大切に育てたんですよ。主人の母は特に大喜びで、“篤子さん、よくやったわね。嫁として合格よ”って言われてうれしかったものです。多様性を尊び、女性蔑視がタブーの今では“炎上”してしまうような言葉ですけれど、昭和50年代はまだそういう価値観が残っていました」

篤子さんの友人の中でも、男子が産めずに離婚された人もいたとか。だからこそ、待望の長男は大切に育てられた。

「主人が特に張り切って、何十万円もするシステム教材とか、知育とか……かなりのお金を使っていました。情操教育にいいとかで、ピアノを習わせたり。リズムダンス教室に通ったり、モーツアルトを聞かせたり、跡取り息子にかなりの期待を寄せていました」

篤子さんの夫は東京都の中流家庭で生まれる。この頭脳明晰の次男坊は名門公立高校から名門私立大学に進学。有名企業に就職する、一族の出世頭だった。

「年末に主人の実家に行くと、当時はお歳暮文化があったから、リンゴやミカンがお歳暮で届いていたんですよね。それを義母が“篤子さん、これに入れてご近所に配って”と渡されたのが、主人の会社の名前が入った封筒。主人は母親に言われるままに、会社の未使用封筒を持ち帰っていたんですよね。近所の人に“ウチの息子はこんないい企業に勤務している”と言いたかったんだと思います」

篤子さんの夫の兄は、勉強ができずボーッとしており、義母の価値観において「隠したい会社」に勤務していた。そして、結婚はしていたが、子供はいなかった。

義母は次男である夫を「跡取り息子」と考えていた……。次のページに続きます

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