手首などにあざがある理由は……
役者の素質を「一声、二顔、三姿」と言うが、貴和子さんはそれを地で行っていた。
「アルトの声は優しく、笑うと白い歯がこぼれる。日本人形を思わせる美しい容姿、いつもモードな服を着て、そばによるといい匂いがするんです。それに、ボディタッチも頻繁で、ドキッとしたこともあります。よく、自宅でお昼をご馳走にもなっていました。テーブルコーディネートも完璧で、松花堂弁当、はまぐりのスープパスタ、薬膳粥はどの店で食べるよりおいしかった」
貴和子さんに会ってから、波奈さんは変わった。
「満員電車も朝起きるのも苦手なので、10時始業の派遣社員の給料に、夜のバイト分を足して、ボロアパート暮らしでいいと思っていたのです。でも、貴和子さんの生きる姿を見て、それではダメだと思い、正社員を目指すように。30歳のときに今のIT関連会社に採用され、今では部長です。ここまでこれたのは、貴和子さんのおかげ」
それには会話や所作が洗練されたことも大きい。美しい敬語を学ぶと同時に、貴和子さんから「その言葉、おもしろいわね」と言われた言葉は、以降使うのをやめた。
「当時、私は無意識に“逆に”と言っていたんですけれど、貴和子さんから“どの逆なのかしら”と言われてから封印しました(笑)。ハイソサエティな人々は、顔はニコニコしているが本音は別のところにある。貴和子さんは笑顔で嫌味を言うところがあります。私は嫌われたくなかったので、必死でしたよ。それが教養につながっていったのです」
お茶に通って2年目、波奈さんは貴和子さんの夫を見かけたことがないことに気付く。「主人は海外出張も多く、忙しいの」とは言っていたが、日曜日の午前中に2~3時間、月1回通っていて、1度もいないというのは考えられない。
「それに、貴和子さんの手首にあざがあったり、目が腫れていたことがあったんです。私は父親がDV男だったので、貴和子さんのご主人は手を上げる人だとピンと来たんですよね。以前の私なら、そのことについて口に出していたんでしょうけれど、貴和子さんとの交際で、黙っていることを覚えたので、何も言いませんでした」
お茶の先生と生徒ながらも、親密な関係は10年以上続いた。一緒に飛騨高山や京都に旅行したこともあった。その関係が変わったのは一年前だ。
貴和子さんから「主人が亡くなったの。コロナだから家族葬にして、家も処分することにしたの。教室はなくなるけれど、新しい家に遊びに来てね」と連絡があったことから始まる。
「貴和子さんの新しい家は都心のヴィンテージマンションでした。前の家からの美術品も多く、貴和子さんの美意識が結集していた。そのときに、“主人も亡くなったし、それまで禁止されていたのだけれど、SNSを始めてみようと思うの”と言われたんです。私は常々、貴和子さんにInstagram(SNS)をすすめていたんです。とても素敵だから、フォロワーが1万人は軽いと思った。そこで私は貴和子さんに、Instagram、Facebook、Twitterのアプリを入れ、アカウントを開設。貴和子さんの友達一号は私だったことは誇らしかった」
それがまさかの決別につながるとは、波奈さんも貴和子さんも考えていなかった。
【私の友達の投稿に批判コメント、勝手に友達申請……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。