いつ何があってもおかしくない。覚悟を決めた
要さんと離れて幸せなはずの富代さんも、中澤さんが東京に戻ろうとすると不安を隠せない。
「両親は共依存なのではないかと思うようになりました。あんな父でも、いないよりはよかったのかも、などと思ったりもします」
要さんが倒れて、中澤さんは自分の中で何かが変わったと感じている。
「感情の起伏がなくなってきたように思います。両親のことを冷静に見ている自分がいるんです」
中澤さんは退職金で両親と住めるマンションを買って、引っ越しして、やれることは十分すぎるくらいやったと思っている。それだけに、両親と自分や宣子叔母とを比べてしまうという。
「私のロールモデルは宣子叔母。叔母はずっと独身で、子どももいません。年金が出るまで、老後はお金が頼りと、母たちに迷惑をかけないように小料理屋を営んで一生懸命に働いてきました。死後のこともすでに遺言書をつくって、マンションのこと、お墓のこともどうするか決めています。私もそうありたいと思っています」
中澤さんは、いつ何があってもおかしくないと覚悟を決め、平常心を持つように心がけているという。そして仕事を続ける状況を最優先にして、普段通りの生活をしていたいと考えている。
「もし何があっても、それは自分の運命ではなく、その人の運命だと思うんです。これまで母は周囲の人たちの面倒を見てきました。だから、今の私も同じようなことをしている。起点は母。母がタネをまいたものを、今度は私が刈り取らなければいけないんだなと思っています」
正直なところ、高齢の両親を一人で抱えるのはきつい。そこに叔母も抱えることになった。叔母に残された時間はそう長くない。ロールモデルでもある叔母だから、叔母らしく楽しく過ごしてほしい。そして最期までしっかり見届けるつもりだ。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。