日本の伝統的な生活道具、工芸品の取材・執筆に40年以上携わり、漆器を中心とした生活道具を扱うギャラリー「スペースたかもり」を運営する高森寛子さん。そんな高森さんが年齢に合った暮らし方や、美しく使い勝手のよい生活道具について伝えている著書『85歳現役、暮らしの中心は台所 生活道具の使い手として考えた、老いた身にちょうどいい生き方と道具たち』から、82歳の時に実施したキッチンのリフォームについてご紹介します。
文/高森寛子
車椅子が入る台所にしておきたい
子どもがいない我が家にとって、介護が必要になったときのことは自分で考えて判断しなくてはならない。
近しい人たちが車椅子を使う生活になったのを見てきたので、そうなった場合、改善すべきは台所だとぼんやり考え始めたのが80歳を過ぎたころ。
同じタイミングで、知り合いの建築家・島田貴史さんに誘われてその作品見学会に出向いたのもヒントのひとつになった。キッチンは、シンクの足元が空いていたのである。「軽やかで気もちがよさそう!」。車椅子向きだ。椅子を置いて皿を洗うにも使い勝手がよさそう。「そうだ、シンクの下は空けておこう」。
とはいえ。こんな小さなスペースの、ちょっとしたことをだれに頼めばいいのか見当がつかない。そんな悩みを聞き入れてくれたのが空間デザインやプロダクトデザインを行う「Luft(ルフト)」のデザイナー・真喜志(まきし)奈美さんである。展示会に足を運んだ折に、軽い気持ちで台所のリフォーム計画を話したら、「私がやります」。真喜志さんのこの頼もしいひと言が後押しとなった。
リフォーム前の台所の個人的記録写真をこんな形で公開することになるなんて恥ずかしい(もっと片付けてから撮ればよかった)。
今、見直すとよくこんなところでやってきたな、と思うが、40年もここでやってきたのだ。自分なりに使いやすいように工夫をしてきた。だから愛着がある。「これでいいんだ」と言い聞かせてきたところもあるし、「こんなもんでしょう」と流してもきた。修繕したところで、あと何年生きるかわからない。しかし、台所に立つのは毎日のことだ。「毎日のことなんだから、使いやすいほうがいいんじゃない?」と心の声。年寄りに待ったなし、「今が一番若いときだ」。
82歳のキッチンリフォームのポイント
私が改善したいことは4つに大別できた。
1 車椅子が入るようにシンクとガス台の下を空けておく。
2 配膳スペースを広めにとる。
3 自分の身長(2~3cm縮んで現152cm)に合う台所にする。
4 ものを取り出しやすくて、しまいやすい引き出し収納にする。
デザイナーの真喜志さんは、この依頼を叶えるだけでなく、それまで私が、どのようにこの空間を使ってきたかを観察し、火元の位置をはじめ、より使い勝手のいいように変えてくれた。こんな“半端仕事”を引き受けてくれたことに感謝するばかりだ。
新しく生まれ変わった台所の使い心地にとても満足している。
ガス台とシンク下が空いているのは視覚的にも気持ちがいい。風通しもよくなったし、掃除機も隅々まで入る。今はまだ車椅子を使うことはないが、そのときがきたらさらに満足感が生まれるのだろう。
一部を生かした吊り戸棚は元の位置から約27cm下げた。扉内の上の棚位置は、私が背伸びをして手を伸ばすと届くぐらいに設定。ちょっとしたストレッチも兼ねたこの動きも結構楽しい。
食器収納を腰から下の引き出しにしたことで、その天板上を配膳台として使えることになった。火元に近い場所に器を広げて、できたての料理をすぐに盛り付ける。火元と配膳場所(あってないようなものだったが)が離れていた以前の台所では考えられなかった動きだ。台所に横長の机ができたようなもので、配膳スペース以外は電子レンジやトースターの置き場所になった。
ガス口が2個から3個に増えたのもうれしい。3個口のガス台は私の長年の夢だった。若いときは立派なキッチンに憧れたものだが、後期高齢者になった身には狭いほうが好都合だ。リフォームしたことで、狭いなりにも広々とした台所になった。
今、食事づくりが面白い。2年半前、手術を終えて退院してきた夫に思いのほか食欲があったお陰で、私は気軽に台所に立つことができた。夫の退院を待つ間は、さすがに台所を積極的に使う気分にはなれなかったが、暗い気もちになることはなかった。夫が回復する希望をもって料理をつくる場所を、使いやすくしておいてよかった、と考え続けていたように思う。こんな展開が待っていることを想像してリフォームしたわけではないけれど、運や縁に恵まれたことを喜んでいる。
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『85歳現役、暮らしの中心は台所 生活道具の使い手として考えた、老いた身にちょうどいい生き方と道具たち』
髙森寛子 著
小学館
髙森寛子(たかもり・ひろこ)
エッセイスト。ギャラリー「スペースたかもり」主宰。漆の日常食器を主体に年に5〜6回の企画展を開催している。婦人雑誌の編集者を経て、使い手の立場で、日本にあるさまざまな生活動具のつくり手と使い手をつなごうと、数々の試みを行ってきた。雑誌や新聞に生活工芸品についての原稿を執筆、展覧会などもプロデュース。著書に『美しい日本の道具たち』(晶文社)、『心地いい日本の道具』(亜記書房)、『漆の器それぞれ』(バジリコ)などがある。