日本の伝統的な生活道具、工芸品の取材・執筆に40年以上携わり、漆器を中心とした生活道具を扱うギャラリー「スペースたかもり」を運営する高森寛子さん。そんな高森さんが年齢に合った暮らし方や、美しく使い勝手のよい生活道具について伝えている著書『85歳現役、暮らしの中心は台所 生活道具の使い手として考えた、老いた身にちょうどいい生き方と道具たち』から、85歳の今、おすすめする生活道具についてご紹介します。
文/高森寛子 写真/長谷川潤
今も私が頼りにするのは漆の器
漆が好きだ。そう言い続けて40年以上が経つ。
漆器は、黒も朱もつややかで近寄りがたいほど美しく高価なもの、もったいなくて使えない、と思う人が多いかもしれない。加飾のものはなおさらだ。だがそれらは、つやを上げる仕上げ作業までしてある高級品のハレの日に使われるもののイメージのような気がする。私が好み、おすすめしている“ふだん使い”の漆器は、漆という塗料のもつ強度を生かして塗りっぱなしにしたものがほとんどで、光沢のない無地。使っていくうちに少しずつつやが増す。形はシンプルで、つくり手が各自工夫をする落ち着いた色のものだ。そのためテーブルの上にいくつか並んでいても目に優しく、陶磁器とも馴染みやすい。
ここのところ、ほとんど毎日食事をつくり漆器を手にしているが、飽きることがない。それどころか、ますます漆に入れ込んでいる。
漆を使うと気もちよく感じる。それは昔からの日本の食習慣に合っているからだと思う。日本人は熱い料理を注いだ器を手にとって、それを口元に運び、その縁に唇を触れさせて、ものをいただく。木の器でもある漆器は、温かいものは温かく、冷たいものは冷たいままに適温で手や唇においしさを伝えてくれる。
年をとるほどに、手に持ったときの手ごろな軽さや、しっとりなめらかな口あたりを求めるようになった気がする。使い込んだ漆のもつ美しさを自分の器に見ることができるのは、幸せな気分だ。
「スペースたかもり」にいると、漆に興味のある人、漆好きな人ばかりに会うので、つい漆器のよさはもう十分に伝わっているのかと思いそうになるが、折にふれて「そうでもないらしい」と思い返している。
漆器は高価で扱いが面倒だと思われがちだが、気楽に使っていい。私の扱う漆器は汁椀で1万2千円前後から1万8千円ぐらい。最初の出費はかさんでも修繕できるのが漆のよさのひとつだ。本物の漆器を求めれば、直しながら一生使えるし好みが合えば次世代に譲れる。何十年も使うことを考えれば、決して“高い買い物”ではないだろう。
手にも口にも響く心地よさ「太い箸、漆と竹のカトラリー」
「スペースたかもり」で受ける漆の修理で比較的多いのが箸。手になじんだものを、直しながら使い続けられるとお客様は喜んでくださる。
箸使いが得意ではない私がこれなら握りやすいと20年余り愛用しているのが、頭の部分が9mm角もある太い箸。この箸、もともとは輪島の故・鵜島(うしま)啓二さんの作である。箸先がすり減りにくいなど、塗りや工程への工夫がありがたい。今も、鵜島さんが信頼していた後輩の余門(よもん)晴彦さんが同じ箸をつくり続けている。
竹に漆を施したカトラリーは伏見眞樹さんの作。口に入る大きさ、厚み、カーブの設計、そして竹の節を生かした柄のつくりが絶妙である。伏見さんのカレースプーンを使い続けて20数年。口中から引き出したときのなめらかな漆の感触に慣れてしまうと、金属製が口にあたると痛く感じる。
ナイフとフォークはつい2年前から使い始めた。コロナ禍の折、パン食が続く朝食にパンケーキづくりを思いついたためである。伏見さんの赤いカトラリーを使うのはこれが初めて。赤が食卓にあると、朝から気もちが華やぐ。新しい挑戦はしてみるものだ。
私の食卓の基本の器「汁椀と飯椀」
福田敏雄さんのお椀を初めて見たのは20年余り前、東京・本郷のギャラリーでのことだ。私が考える「ふだん使いの漆の器」が目の前に現れた気がした。それは無地のお椀で、展示会場より家庭の食卓が似合いそうなものばかりだった。福田さんがつくるものは今も同じ。お椀の種類は100種近く。選ぶ側も迷う楽しみがあるし、廃番がほとんどなく買い足しができる。美しく丈夫、手が出しやすい価格(1万2千円前後~)も魅力だ。
出合った年数と同じだけ使っている汁椀、その少し後に求めた飯椀。汁椀は内側が朱色。明るい朱をあまり好まない福田さんが、朱漆の上に透き漆を塗って仕上げるこの人独自の朱色に、折にふれ気分を落ち着かせてもらっている。飯椀は朱漆に黒みを加えた透き漆を重ねた塗りの「曙」。しだいに漆が透けて、黒の向こうにぼんやり赤味が見えてくる。夜がほのぼのと明け始める風情が味わえる。
汁椀で漆椀のよさに納得したら、ぜひ飯椀も。漆器でいただくご飯のおいしさは格別だ。特に炊きたての白いご飯が似合うのは黒っぽい漆椀。長い間、漆と付き合ってきた私の感想である。
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『85歳現役、暮らしの中心は台所 生活道具の使い手として考えた、老いた身にちょうどいい生き方と道具たち』
髙森寛子 著
小学館
髙森寛子(たかもり・ひろこ)
エッセイスト。ギャラリー「スペースたかもり」主宰。漆の日常食器を主体に年に5〜6回の企画展を開催している。婦人雑誌の編集者を経て、使い手の立場で、日本にあるさまざまな生活動具のつくり手と使い手をつなごうと、数々の試みを行ってきた。雑誌や新聞に生活工芸品についての原稿を執筆、展覧会などもプロデュース。著書に『美しい日本の道具たち』(晶文社)、『心地いい日本の道具』(亜記書房)、『漆の器それぞれ』(バジリコ)などがある。