最後も、母親は親であることよりも妻を選んだ
両親が不仲になったことで早貴さんは実家から大学に通い、妹の世話をして母親を助け、義父の食事の用意も行っていました。25歳のときに結婚で家を離れた後も母親と妹の様子は定期的に見に行っていたと言います。
「離婚してほしいと思っていたはずなのに、気づいたら両親の関係を保つ役割を担っていた、という感じです。別に苦痛でもなかったし、年の離れた妹はかわいかったし。それに、一切子育てに参加しない父に妹が懐くわけもなく、妹は不仲の両親を見て育つことになるので、心配でもありました。17歳も下だと、妹というより、娘に対しての気持ちでしたね」
早貴さんの結婚生活は相手の不倫により4年弱で終了。実家に戻らずに実家近くで暮らし始めると母親に報告した内容を妹が聞き付け、「一緒に暮らしたい」と訴えてきたそう。そして、母親と話し合い、実家近くで妹と一緒に暮らすことが決まり、現在に至ります。母親と義父は今は仲良く2人暮らしをしているとのこと。
「母親との話し合いの中で、こんなに妹が一緒にいたくないと義父のことを訴えたのに、母は聞き入れてくれなかったんです。妹の中では父だけでなく、母もちゃんとした母親ではなかったのかもしれません。だからこそ、親にまだ甘えたい時期だったのに、私と暮らしたいとあの子は言ったのだろうと。振り返れば、私のときも母は私よりも義父だった。何を期待していたんだろうって感じですよね。そんなに好きなら、どうぞ2人で末永くお幸せにという感じです。
私個人では義父にそんなに悪いことをされたイメージはないんですが、それも他人だと思っているから許せるというか、他人のように深く関与しない関係だからなんだと思います。
私は何があっても妹の味方です。両親には妹を授けてくれたことだけは感謝しています」
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異父兄弟など、両親のどちらかが違うきょうだいは特に珍しいものではなく、小さい頃から一緒に暮らしている場合は普通のきょうだいと関係性は変わりません。合う、合わないがあるのはどのきょうだいも同じです。きょうだいの争いの根本は親の取り合いから生じると言われています。その親から半ば強制的に早く卒業させられた早貴さん姉妹は争うことなく、逆により強い結びつきが生まれたのかもしれません。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。