妻は1つずつ家のことを手放していった
結婚したのは28歳のとき。学生時代のアルバイト先で出会った2つ上の女性と8年の交際を実らせて結婚に至った。結婚した理由は「彼女が30歳だったから」。妊娠するまでは仲良くやっていた記憶が残っている。
「結婚したいというよりも、相手から結婚の圧を受けて、拒否するほど嫌じゃなかったから結婚した、というのが本音です。学生時代から地元も同じで親同士の面識もあったので、結婚は一度決めてしまうとスムーズに運びました。
でも、子どもがなかなか授かれませんでした。結婚してから2年は子どもを作らないでおこうと決めて、その後避妊をやめてできたらいいなという感じだったんですけど、全然できなくて。相手から検査を受けてほしいと言われて受けたのですが、お互いに大きな問題はありませんでした。そのときはホッとしたんですが、じゃあなんでなんだって迷宮入りしてしまった気分でしたね。
子どもを授かったのは不妊治療を始めて1年弱の頃でした」
授かったのは男の子。自分に瓜二つの容姿を持つ息子を溺愛していた。しかし、その以前から徐々に妻との関係は希薄になっていった。
「不妊治療で、夫婦生活は義務みたいなものになっていて、妊娠中は相手のことを腫れ物のように扱っていたと思います。だって穏やかなときもあれば、大声を上げて罵倒されることもあって、どっちかはまさに時の運みたいな感じでしたから。横になっているときに良かれと思って家事をやっておいたことがあるんですが、『家事をできていないことへの当てつけか!』と物を投げつけられたこともあります……。かといってやらないでおくとまた怒られるから、『どっちだよ!』とシャワーの音にかき消されるぐらいの声でほぼ毎日お風呂で叫んでいましたね。
今振り返ると、最初は私のほうが妻を避けていったんですよね」
母乳以外のことは率先して子育てをしていた。子どもを産んでから妻の情緒不安定さは減ったように見えたが、離乳食に移行してから妻は寝室に籠るようになる。
「部屋は3つあって、当初は2つの部屋をつなげて広くつかっていて、もう1つは夫婦の寝室でした。その寝室に1人で籠るようになったんです。
そこから妻は1つずつ家事を放棄していき、階段を1段ずつ下りていくみたいに家庭は崩壊していきました。最終的には同じ家で暮らしながらまったく私の存在を意識してくれなくなったのです」
理由もわからず「気持ち悪いから話しかけてくるな」と罵倒されるように。我慢も限界だった。
【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。