文/印南敦史
『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』(多良美智子 著、すばる舎)は、以下のような自己紹介文から始まる。
私は今87歳、築55年の古い団地でひとり暮らしをしています。以前は家族5人で暮らしていましたが、娘1人と息子2人はそれぞれ独立し、7年前に夫を亡くしました。
長崎で8人きょうだいの7人目として生まれ、小学5年生のときに被曝しました。幸い、病気になることもなく成長し、会社勤めを経て、27歳で結婚。夫には亡くなった前妻との間に10歳の娘がいました。
結婚後は主婦として家のことを担い、子育てが一段落してからは習い事やボランティアをしたり、パートで働いたりして過ごしてきました。(本書「はじめに」より)
大変なことがあったことも推測できるが、それでもこの記述を見る限りは、「どこにでもいそうな普通のおばあさん」といった印象のほうが強い。
しかし、少なくともひとつだけ、「普通のおばあさん」にはない側面を著者は持っている。2年前の2020年、当時中学生だった孫(次男の息子)と「Earthおばあちゃんねる」というYouTubeの番組を始められたのだ。つまり85歳にしてYouTuberデビューを果たされたわけである。
驚くべきは、スタートからわずか2カ月でチャンネル登録者数が1万人に達したという事実。それどころか以後も増え続け、現在は登録者数6万人に。「お部屋紹介」の動画は、再生回数が160万回超を記録したのだという。
だが、孫が著者の“ひとり暮らしの日常”を撮影しているその動画を拝見する限り、人気が出たことも充分に納得できる。適度に洗練されていて、それに加えて適度な生活感も感じられるだけに、ご自宅にお邪魔したかのような感覚で気楽に眺めることができるからだ。
そして、同じことは本書にもいえる。ここではYouTubeで紹介しきれなかった日常を綴っているというが、柔らかな文体、そして生活を切り取った写真が安心感を与えてくれるのだ。その根底には、残りの人生を楽しもうというご本人の意志も垣間見える。
夫が亡くなったとき、「自分もいつ死ぬかわからない。生きているうちは楽しくやろう」と思いました。だから、ひとりになって寂しいではなく、ひとりの自由を満喫しようと考えることにしました。(本書「はじめに」より)
著者はここで、「幸せな人生だった」と過去を振り返っている。戦争や被曝体験など大変なことも多く、決して平坦な人生ではなかったが、基本的にはあまりくよくよ悩まない性格だというのだ。いわば、そんな性格が功を奏したのかもしれない。
物事は良い方に考えるようにしています。人間関係も、嫌なことがあれば、それは他の人にしないようにしよう、勉強になったと考えます。
どんなことも、どうせやるなら嫌々ではなく、楽しんでやろうと思ってきました。だから、これまでの人生で、嫌な思いをしたことがありません。「嫌だと思わない」ということでしょう。(本書206ページより)
あとから「やればよかった」と後悔するのは嫌なので、やろうと思ったことはすぐ実行に移してきた。しかも、やりたいと思ったことはすべて叶ってきたのだそうだ。とだけ聞くとうらやましい気もするが、そこには重要なポイントがある。
叶いそうもないことは、さっさとあきらめるのだ。だから結果的には100%叶っていることになるのである。いたって単純な話だが、しかし単純だからこそ忘れてしまいがちな、とても大切なことではないだろうか?
お勤めをしていた独身の頃、夜間の洋裁学校に通ったことがありました。最初は楽しかったのですが、ファスナーをつける、襟ぐりの始末、ポケットをつけるなどだんだん難しくなって、ついて行かれなくなりました。これは私には向いていないと、3ヵ月でやめてしまいました。
今でも、ミシンは使えず、洋裁はできません。でも、洋裁はあきらめているから、できないことに悩まないし、気にしません。ミシンが使えないなら手縫いすればいいと思っています。根がいいかげんなのでしょうね。(本書208〜209ページより)
「きっとミシンをうまく使えるのだろう」というように、私たちはお年寄りを“なんでもできる人”のように考えてしまいがちだ。しかし実際にはそんなはずもなく、各人にそれぞれ不得意なことや苦手なことがあるもの。著者のこのことばが爽快なのは、改めてそんなことを実感させてくれるからなのだろう。
当然ながら、加齢とともに「できないこと」も増えてきたという。たとえば朝の30分ウォーキングは、体がきつくなったため最近は10〜15分程度に短縮したようだ。
しかし、それは年をとれば仕方がないことなのだから、受け入れて、できることをやろうと考えているそうだ。根底にあるのは、「私なりに、楽しく元気にひとり暮らしを続けたい」という思い。
先のことはあまり考えません。どうにかなると思っています。実際にそうなってきました。だから、今も将来を心配していません。「どうにかなるだろう」と。
それよりも、今このときを楽しみたい。日々前向きに。(本書209ページより)
著者のこんな考え方と生き方は、これから老いと向き合うことになる多くの読者の励みになることだろう。
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。