2013年6月2日、北海道のとある住宅街で、カラスに襲われているところを心優しい夫婦に助けられたわさびちゃん。カラスにつつかれた口の中が激しく損傷しており、自力で食事をとることができなかったため、喉に医療用カテーテルを通して給餌させていた。
カテーテルを喉に通る際に、暴れて怪我をしないよう、おくるみ(医療用拘束具)で体を補綴していた。味気ない拘束具のかわりに、おばあちゃん(妻の母)が用意したのが、手作りのかわいらしいおくるみの数々。とうもろこし型だとか、マーメード型だとか、全てが小さくてかわいらしいわさびちゃんに似合っていた。
夫婦の献身的な介護の甲斐あって、すくすくと成長したわさびちゃんだったが、2か月半ほど経ったある日突然、この世を去ってしまう。
あれから8年半。今、わさびちゃんちの夫妻「父さん」「母さん」は、20匹あまりの保護猫たちのお世話をしている。地道に、こつこつと。わさびちゃんのようにつらい思いをする野良猫が1匹でも幸せを掴めるように。
アニメ映画などに楽曲を提供したり、国際的バンドの大会で日本代表に選ばれる実力派アーティストの「父さん」ことSnare Cover(斎藤洸)も、音楽活動を通して保護猫たちのためにオンラインでチャリティライブを行なったりしている。
今回、この8年半を、わさびちゃんちの母さんに改めて振り返ってもらった。以下、母さんの手記である。
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私たち家族が野良猫の保護、TNR活動※を始めて8年半ということで改めて活動を振り返り、正直な気持ちはなんだろうと考えてみました。(※TNR活動とは、捕獲し、不妊去勢手術を施し、元の場所に返す活動のこと)
「二度とやりたくない」
それが本音です。
助けを必要としている命を救えました! とだけ言えたら格好もつくのでしょうけど、これが正直な気持ちなのです。
わさびが亡くなって(2013年8月)以来、身近な野良猫の存在が大きくなりました。そして、野良の子猫だった一味を家族として迎え入れた(2013年9月)ことで、産んでくれたお母さん猫やエリアに増え続ける野良猫に深く関わるようになりました。
最初は「お母さん猫たちはどんどん避妊しよう!」とやる気に満ち溢れていたのを思い出します。
いざやってみると、不穏な空気が漂いはじめました。
TNRのためにまずは捕獲。捕獲される猫たちは皆、喧嘩や交尾による傷があちこちにあり猫風邪をひいていたり、ダニやシラミだらけ。猫エイズは蔓延しているし、口内炎で食べられずガリガリになってしまっている猫もいます。
時期によっては捕獲する女の子の猫はみんな妊娠している。手術までの間の一定期間、この猫たちのお世話をすると、もうその子の行く末が心配で仕方なくなり、劣悪な場所にリターンしなければならない。
不幸な命が増えないようTNRは必要なこととわかっていますが、私たちにとってTNRは辛い思い出しかありません。
これは地域によっても変わるのでしょう。リターンした後も元気な姿を見せてくれて、地域猫の認識がされていれば餌やりなどのお世話もできますが、私たちが関わったエリアではそうはいきません。地域猫という概念がない住宅街です(もちろん、地域猫も安全とは言えませんが)。
避妊に反対して捕獲に非協力的な餌やりさんや、不妊去勢手術を済ませた猫をリターンする(元の場所に戻す)ことを迷惑だと語気を強めて迫る地域住民。子猫は癒しだが成猫は迷惑だという人。
野良猫問題は地域の問題なので、町内会に相談したこともありました。でも、野良猫は迷惑だから排除するしかない、の一点張り。
そんな場所にリターンするしかなかった猫たちがたくさんいます。私たちがリターンする条件は、引き続きごはんをくれる人がいるかどうかですが、基本的に餌やりは反対されている地域が多いため、今も猫たちはコソコソと餌をみつけて怯えながら暮らしていることでしょう。今でも思い出すと胸が苦しいし、いつか迎えに行きたい気持ちです。
子猫の保護については、子育ては大変ですが楽しかった思い出になります。病気を持っている子猫の場合は、心配で眠れない夜が続いたり、度重なる通院や介護でとても大変ではありますが、可愛く、愛おしい子たちということに変わりはありません。
しかし、この小さな命はとても重く私たちにのしかかります。
劣悪な場所で産まれた子猫たちなので、なんらかの問題があり体調が悪くなるたびに、こちらの寿命も縮まりそうになります。
いつ体調が悪くなるかわからない小さな子猫を、春から秋にかけて毎年のようにお世話していた時期は、その年に自分が何をしていたのか記憶にないくらい必死です。
では、なぜ8年半も続けられたのか。
それは、保護した猫たちの生きようとする力を目の前でみていたからです。生きる力に圧倒され、よくぞ生きていてくれたと感謝する。それが力になるのです。
育てた子猫は里親さん宅で愛され、成長した姿を誇らしげに見せてくれます。
そして目の前の命を排除する人がいる一方で、見ず知らずの猫を助けたい応援したいという人が全国にいます。
私たちは壁にぶち当たるたび、その方たちに支えられ助けられてきました。
今の活動はまだ現在進行形で、大変なこともあります。でもいつかまた振り返ったとき、やって良かったと思えると確信もしています。
最後に、同じような環境で保護活動するみなさんとそれを応援するみなさん、本当にありがとうございますと伝えたいです。
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あえて団体などを作らず、個人として保護猫活動を続けてきたわさびちゃんち。時には犬の保護を依頼され、誰も手を差し伸べることができずにいた犬たちも救ってきた。人として当たり前のことをしているだけかもしれない。一歩踏み出す勇気があっただけなのかもしれない。誰もが踏み出すことができるはずの一歩だ。その一歩を踏み出したことで、わさびちゃんちは今も多くの人に愛され続けている。わさびちゃんという小さな命の物語は、今も紡がれ続けている。
構成・文/一乗谷かおり