給料の半分を実家に。そのことに違和感はなかった
依乃さんは高校を卒業後に京都府にある企業で事務の仕事を始めます。大学進学の夢は早々に捨てたと振り返ります。
「その頃には母親はよく体のどこが痛いとよく口にするようになっていました。私は心配してというよりもどこかが痛いと母親が不機嫌になることが多かったので、高校を卒業して働くことで家計が楽になって、不機嫌の頻度を少なくできるかなって思ってました。大学には高校1年の時点では行きたいなって思いがありましたが、高校2年で理系と文系に分かれる進路について母親に相談したら、『働くんだからどっちでもいいでしょう』と笑って言われて。それで無理なんだなって。特に大学でやりたいことがあるわけじゃなかったのでいいんですけどね。
私は就職後も実家から通っていました。これも母親を助けたいというよりも、弟と母親の2人きりにさせたくなかったから。その頃には2人の仲はより険悪になっていて、私がいなかったから言い合いだけでなく何か事件に発展してしまったらと怖くて」
家に入れていたお金は給料の手取りの約半分にあたる8万円。その金額には祖父母への借金の返済額も含まれていると説明されたそう。
「お金は祖父母からは援助であって借金ではなかったんですが、母親からは当時は嘘をつかれていたんですよね。でも、私たちを育てるためのお金だと説明されたら私が返すのは当然のような気がしていました。私が中学生ぐらいから祖父母も顔を出さなくなっていたので、もしかしてお金のことへの負担が大きくて疎遠になってしまったのかなって悪いほうにばかり考えていましたね。
8万はたしかに大きな金額でしたけど、手元に残った約8万円は自由にできたので、母親が外出しているときには弟と2人で外食をしていました。家では無口な弟も私と2人きりになるとよくしゃべったんですよ。家を離れて弟や友人と外食することが唯一の楽しみでしたね」
可愛がっていた弟も高校を卒業後に就職して実家を離れることに。依乃さん自身も弟が実家にいる間までは実家で過ごすと決めていたこともあり、一人暮らしに始めたいという思いが浮き上がるも……。
【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。