取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「母親とうまく付き合っていかなければという思いにずっと縛られていました。もうこのままでもいいと思えたとき、少しだけ楽になれました」と語るのは、敬子さん(仮名・38歳)。彼女は現在、実家から30分ほどの距離のところで一人暮らしをしています。
両親はお見合い結婚で不仲。父の単身赴任では家族で引っ越しの話は出なかった
敬子さんは東京都出身で、両親と2歳下の妹との4人家族。仕事が忙しいものの会えば優しかった父親と、躾に厳しかった専業主婦の母親の下で育ちます。
「父親はたまに家に居て、たまに遊んでくれるような存在でした。平日は夜遅くに帰ってきていたようで、朝の一瞬と休みの日にしかほとんど会っていません。旅行も一緒に行っていたはずなんですけど、母親の印象が強くてあまり覚えていなくて。逆に母親は怖くて、よく怒られていたから強烈に覚えています。小さい頃は母親よりも父親のほうが好きでしたね」
そんな両親は敬子さんが小さい頃からあまり仲が良くなかったそう。
「両親はお見合い結婚だったみたいで、そのせいなのか昔からあまり仲が良くありませんでした。そんな仲良くない両親の馴れ初めなんて聞く機会はなかったんですが、お見合い結婚だと知ったのは父方の叔母から聞かされたから。母親は父親よりも2歳上で、当時はお見合いでは女性が年下というのが一般的だったみたいで、母の年齢について、うちの父親は結婚が決まる直前までずっと愚痴をこぼしていたみたいなんです。誰から紹介されたものなのかは知りませんが、父親からしたら納得のいく結婚じゃなかったんでしょう。そんなスタートだからずっと仲が良くないのも頷けます」
敬子さんが中学生のときに父親が単身赴任により離れて暮らすことに。そこから父親とは年に2~3度しか会わない関係になっていきます。
「単身赴任が決まったときも、家族でついて行くかどうかなんていう家族会議は開かれず、父親が家を出る日を伝えられただけでした。そのときは中学生で反抗期もあって、親と距離を取っていた時期でもあるので寂しいとは思いませんでした。どちらかというと引っ越しにならなくて良かったなって。父親は少し寂しそうだったけど、母親はそうでもなかったように見えました。
単身赴任になってから何度か父親から家に電話はかかってきていたけど、何を話せばいいのかわからずに困った記憶がありますね。最初の頃は2日ほどの連休でも帰って来ていたけど、それが割とすぐにお盆と正月だけになって、私の中の感覚も父親というよりも親戚のおじさんという感じになっていって。父が帰って来たときにはどこか緊張していましたから」
【母親は父親の分まで親になろうとした。次ページに続きます】