取材・文/ふじのあやこ

家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ

今回お話を伺ったのは、都内で一人暮らしをしている千夜子さん(仮名・39歳)。広島県出身で、両親との6歳上に兄のいる4人家族。共働きの両親はいつも忙しそうで、家族仲は良好だったものの自分のことで時間を使わせてはいけないといつからか思っていたそう。その考えは、いつしか相談しても解決してくれるわけないというふうに変わっていきます。

「解決ではなく、話すだけでいいという考えが私にはなかったんです。話すだけで解決しないなら時間の無駄じゃないかなって。だから自分のことを誰にも話さなくなりました。両親と離れて暮らすことで、どんなに辛いことがあったとしても嘘をつけるようにもなりましたね。毎月あった電話にも『それなりに楽しくやっている』って伝えるだけになっていました」

社会的な立場が変わったことで親子関係にもある変化が

頼れないところはありつつも、干渉し合わない関係は心地良かったと言います。千夜子さんも両親と同じく仕事に打ち込みますが、適齢期を過ぎても結婚しない娘に対しても両親は何も言ってこなかったとか。

「仕事は広告代理店だったんですが、本当にとても忙しくて。朝まで働くこともあり、徐々に服装にも気を使わないようになり、休みの日はすべてを休養にあてて1日中ひきこもったり。充実したプライベートとは程遠いような生活を送っていました。目のクマは取れないし、働き続けた後には点滴を打ちに行くぐらい体もボロボロなときもあった。でも、毎日が楽しかったんです。忙しければ忙しいほど日常が充実しているように感じていました。

それに、そんなどんどん年を取っていくのに浮いた話の1つもなく、東京にいるのに逆におしゃれじゃなくなっていく娘に対しても両親は何も言ってきませんでした。両親が聞くのは『仕事は続いているのか?』『お金はちゃんとしておきなさい』と言うだけ。周囲の独身の友人が年々実家に帰るのが憂鬱になっていく中、私は気楽なものでした」

そんな生活が仕事を始めてから10年以上も続いていた中、関係に変化が表れます。それは母親の定年でした。

「65歳のときに母親が仕事を辞めました。私の家は母親のほうが3歳ですが年上なので、定年は母親のほうが先でした。話を聞くと、本人からしたら今までと同じようなクオリティーを出せないかもしれないと、最後のほうは不安があったので、仕事から離れてスッキリした気分だと最初は言っていました。

仕事を辞めたという連絡をもらってからしばらくは楽しく生活をしていたみたいで、最初は週に1度くらいのペースで楽しくやっている内容の連絡が来るようになりました」

【「お母さんには何もない」抑うつ状態を見せる母親の姿を見るのが辛い。次ページに続きます】

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