主体性を求める親に、悩みを話しても解決してくれるわけないと考えた娘
千夜子さんの学校の成績は優秀の部類。しかし将来についてやりたいことがまったくなかったために、多くの選択肢の中で進路について迷うことも多かったそう。その相談相手には親を選択する子どもが多そうですが、千夜子さんは両親には一度も相談しなかったと言います。
「高校は友人たちが多く進学するところに決めて、大学は学校の先生に勧められたところに進学しました。本当にやりたいことがなかったんですよ。友人が美容師になろうと専門学校に進学することになっていて、私も一緒にとりあえず行こうと学校見学に行ったぐらい。
進路に迷っていたのを両親に相談しようと思わなかったのは、私のことで時間を使わせるわけにはいかないと思ったから……ですかね。一度母親と進路の話になったのは三者面談の直前だけでした。『どの大学に行けるぐらいの頭なの?』って聞かれて。先生に勧められていた大学を伝えると「わかった」と。それぐらい両親は私の成績も知らなかったんですよ。それをイチから説明するのは、私からしても面倒だったんだと思います」
そんな中でも仲が悪かったわけではないと千夜子さんは付け加えます。
「父親は出張などで家を空けることが多かったけど、母親とは夜にコミュニケーションはとっていました。詳しく覚えていないようなことばかりですけど(苦笑)。それにお盆やお正月は家族でゆっくり過ごしていました。お盆はお墓参りに家族で出かけて、お正月はみんなでこたつに入ってうだうだするだけの寝正月ですけど、居心地はとても良かった記憶があります」
大学を卒業後に都内の企業に進学。離れて暮らし始めたことで、両親との関係は年に2、3度だけ会う関係になります。母親とは月に一度ほどは電話で連絡を取り合っていたそうですが、その中で近況報告をすることがとても苦手なことに気づいたとか。
「今まで親に自分のことを伝えたことなんて一度もなかったから、それがうまくできなかったんです。母親から近況を聞かれても、『それなりに楽しくやっている』と答えてしまう。仕事で大きな失敗をして眠れないほどヘコんでいたときも、『何も変わりはないよ』と。親に心配をかけたくないという思いもありますが、それを今伝えたとしても解決するわけじゃないしという考えでした。親にもそうなんですから私は友人にもうまく気持ちを伝えることができない人で。社会人3年目ぐらいで、本音で話せる人が誰もいないって気づきましたね」
定年後の自分の姿が想像できなかった母親。もしかして私も。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。