取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「両親は外から幸せに見えることにこだわり続けた人たちでした。当時はそんな部分が嫌だったのに、自分も親になって同じことをしてしまっているのかもしれなくて」と語るのは、美琴さん(仮名・40歳)。彼女は25歳のときに結婚して、現在は旦那さまと2人の子どもとの4人暮らしをしています。
親の期待は自分の実力以上。親の言う”少し裕福な生活”を目指し必死に頑張った
美琴さんは大阪府出身で、両親との3人家族。美琴さんには3歳下に弟がいたそうですが、生まれてから短い期間で亡くなっています。そのことを母親から聞かされる度に美琴さんの中ではマイナスの感情が生まれたと語ります。
「弟は生まれてからずっと病院で過ごし、そのまま……。私自身は3歳の頃で、記憶はまったくないんですが、母親がよく弟の話をしていたから覚えていて。幼い頃、私に何かを頑張ってほしいときには『弟の分まで』と言っていましたね。私も今母親になって、子どもを失う親の気持ちがわかるようになりましたが、当時は見たこともない弟に特別な感情を持てなくて戸惑っていました。
『弟の分まで』という言葉で頑張ろうとは思えなくて、逆になんで負担させられなくちゃいけないんだってマイナスに思えてしまっていましたね」
父親は大手企業に勤めていて、母親は専業主婦。両親は他人よりも少し裕福な暮らしを、とても大切にしていたとのこと。きつい躾には「あなたのため」「将来のため」という枕詞がついていたそうです。
「家は裕福だったと思います。海外旅行にもたまにですが行っていたし、お菓子も体に気を使ったものだったし、小さい頃から複数もの習い事をやらされていたし。親の私への目標設定は高いもので、それにこたえられないと、母親は『あなたのため』と言いながらよく手を出してきました。
父親も成績が悪いと『いい大学に入れなかったらそこで人生が終わってしまう』というようなことを言っていましたね。父親はいい大学を出て、いいところに就職したことを誇りに思っているようで、よく自分がいかに勉強を頑張ったかの思い出話をよく聞かされていました」
【勉強を強いられるのは学生時代で終りではなかった……。次ページに続きます】