取材・文/坂口鈴香
迫田留美子さん(仮名・49)は、南九州で一人暮らしをしていた夫の父親(87)を関西に呼び寄せ、同居して1年半になる。夫が高校生のときに父親の酒と暴力が原因で両親が離婚し、母親は早くに亡くなっていた。義父との付き合いはほぼなかったが、認知症と糖尿病を抱える義父の面倒をみていた叔父が倒れたため、関西に呼んで同居することを決めた。
同居してみると、認知症以上に血糖値測定やインスリン注射、糖尿病食などの糖尿病ケアが大変で、迫田さんは「もう何もしたくない」と追いつめられてしまう。医師に訴えて注射の回数を減らしてもらうと、迫田さんは前向きな気持ちを取り戻した。今は義父を笑わせることを目標に介護をする毎日だ。
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ずっとつらかったん? こっちに連れてきたことがあかんかったの?
迫田さんの夫は、昔の義父のしたことを恨んでいるわけでもない。それでも不思議な関係だと苦笑する。
「主人は義父のことを子ども扱いしているし、義父は主人が話しかけても無視したりするんです。笑えますよ。身内には冷酷なんだ。義父の『正体見たり』って感じですね。でも主人の帰りが遅いと、起きて待っていたりするんです。ほんとに、よくわからないですね」
義父は夫に、「何もすることがないし、そろそろ帰ろうか」と言うこともあるが、それほど深刻な様子でもない。
ところが、先日こんなことがあった。
義父が東京に住む妹、迫田さんにとっては叔母に電話をしていた。その会話を耳にした迫田さんは衝撃を受けた。
「声を振り絞るように『もう家に帰りたい』と訴えていたんです。小さな子どものように電話にしがみついていました。そうか、帰りたい、帰りたいんですよね。涙があふれました。ずっとつらかったん? 我慢してたん? 私と暮らすのイヤなん? こっちに連れてきたことがあかんかったの? 義父にとって何が幸せなのか、何が正解なのか、わからなくなりました」
義父は認知症とはいえ、忘れていないこともたくさんある。妹との会話でふるさとを思い出したのかもしれないとも思う。
でも、やっぱり一人暮らしは無理だ。せめて車で行き来できる距離なら、通って介護もできるが、南九州までは通えない。迫田さん夫婦が南九州で暮らすこともできない。義父を故郷に帰せないことへの罪悪感さえ湧いてきて、迫田さんはつらくて、切なくて、泣くしかなかった。
【私の人生、こんなはずじゃなかった。次ページに続きます】