取材・文/坂口鈴香
迫田留美子さん(仮名・49)は、南九州で一人暮らしをしていた夫の父親(87)を関西に呼び寄せ、同居して1年半になる。夫が高校生のときに父親の酒と暴力が原因で両親が離婚し、母親は早くに亡くなっていた。義父との付き合いはほぼなかったが、認知症と糖尿病を抱える義父の面倒をみていた叔父が倒れたため、関西に呼んで同居することを決めた。
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義父のケアが私の使命や
迫田さんの驚くべき決断の速さで、義父は関西にやってきた。夫にとっても、16歳で父親と別れてから約40年ぶりの同居だった。
「関西に呼んでから2週間は特に何もせず、義父と過ごす毎日でした。義父もボーっとしていることが多かったです。ただ糖尿病が怖かったので病院を探して受診すると、合併症を起こす直前だと言われました。それで糖尿病のための教育入院をすることになりました。こちらに来て4週間後のことです」
入院するまでの間、迫田さんは何をしたらいいのかわからなかった。
「毎日一緒というのは想像以上にしんどかった。私が気を遣い過ぎてたんですが。主人にも相談せず、自分一人で考えて決断していたのでしんどいのも当然ですよね」
市役所に行ってはじめて、地域包括支援センターの存在を知った。義父が地元にいたときにはデイサービスも利用していたのだから、本来そこでのケアマネジャーが教えてくれるべきだった。県をまたいだ情報の連携がいまだにできていないのは早急に改善すべきだろう。
ともかく迫田さんが地域包括支援センターに行って、ようやく義父の今後の方針が決まった。教育入院後、落ち着いてからデイサービスを利用することになったのだが、この“落ち着くまで”が迫田さんには大きな試練となった。
「仕事も辞めていたし、『義父のケアが私の使命や!』みたいになってしまったんです。糖尿病食、インスリン注射、血糖値測定と、がんばりました。2週間に1回通院するんですが、病気がどんどん良くなっていきました。お医者さんも驚くほど。すると、自分ががんばれば義父は良くなるんだと思えたんです」
親戚などから、「義父を関西に呼べばすぐに悪化するに違いない」と言われていたので、意地でもそれは避けたかった。
「義父がこっちに来てすぐに亡くなったりしたら自分の責任になりますから、それが怖かったんです」
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