文/鈴木拓也
「御朱印集め」と聞くと、つい、若い人の趣味というイメージが先行してしまう。あるいは、「この年になって、縁結びのご利益でもないだろうに」と、鼻白む向きもあるかもしれない。
そんな方々に、今回あえておすすめしたい1冊が『50にして天命を知る 大人の御朱印』だ。
起源は寺院への納経の簡略化
著者は、1961年生まれのフリーライター、重信秀年さん。折々に各地の神社仏閣を訪れ、御朱印を集めている。収集の理由は、「心が少し豊かになった気分」を味わうためだという。
自宅にいても朱印帳を開いて見返すと、参拝したときのことを思い出す。朱色と濃い墨で構成された紙面は、清々しさや美しさを感じさせる。御朱印集めには、ほかのものでは得られない喜びがある。(まえがきより)
重信さんは、これからも参拝を続けたいと述べているが、それは、ご利益を求めてというより、「素晴らしい風景に出会う驚きや興味深い歴史を知る楽しみを求めて出かけたい」という気持ちから。そうした同好の士に向け、本書は書かれている。
ということで、そもそも御朱印とは何だろうか?
解説によれば、その起源は奈良時代にまで遡る。長谷寺の徳道上人が、閻魔大王から「人々を救うため、三十三か所の観音霊場をつくり、巡礼を勧めよ」とお告げを受け、三十三の宝印を授かったという。ただ、もちろん伝説にすぎない。確実な説は、六部と呼ばれる行者が、書写した『法華経』を各地の寺院に納める納経が簡略化され、札を納めたり経を読んだりするだけで、納経帳に印を受けるようになったのが始まりのようだ。
それをさらにシンプルにし、参拝して御朱印料を納めるだけで、手持ちの朱印帳に印をもらえるようにしたのが、現代の御朱印集めである。
神社と寺院で細かい差異がある
御朱印の大半は、神社だと中央に神社の名称が大きく墨書され、その上に朱の社印が押されている。その右上には、「奉拝」「参拝」の文字があり、反対側の左には参拝した年月日が記される。それ以外に、社紋、社格、神徳などを押印または墨書するところもあり、さまざまだ。伊勢神宮といった古式にこだわる神社は、社印のみで神社名を墨書しない傾向があるそうだ。寺院についても細かな差異はあるが、中央に本尊や堂の名を墨書し、その上に朱の宝印を押すなど、レイアウト面で似ている。
そして、忘れてはいけないのが朱印帳。これがないと始まらないが、これがあれば収集はすぐにでも始められる。文具店で販売されているものもあるが、授与所で入手すると参拝の記念品にもなる。
朱印帳を鞄などにそのまま入れると、汚れたり濡れたりする心配がある。この点について重信さんは、「袱紗(ふくさ)で包むのも洒落てはいるが、出し入れは口をひもで締める巾着の方が楽だ。御朱印袋は、どこの授与所にもあるわけではないので、見かけた際、気に入ったものがあれば、入手しておこう」とアドバイスしている。
絶対参拝すべき社寺がある
本書は6章に分け、主に関東甲信越の寺社、そして授与される御朱印が紹介されている。
数多くある寺社の中から選んだ基準は、熟年以降の世代におすすめ、という視点。特に第2章は「絶対参拝すべき社寺ベスト10」と、力が籠っている。そこには、戸隠神社や諏訪大社という有名どころもあれば、多くの人には初耳のところもある。
その一つが、新潟県魚沼市にある雲洞庵(うんとうあん)。奈良時代に律宗の寺として創建、室町時代に関東管領の上杉憲実が、曹洞宗の寺として再興した。上杉景勝や直江兼続ゆかりの寺として知られ、二人は少年時代にここで教育を受けたという。
雲洞庵で授与される御朱印は、中央に大きく「南無釈迦牟尼佛」と墨書され、左には「雲洞庵の土踏んだか」とある。これは、参道の下には法華経を一字ずつ刻んだ石が埋められており、その上を歩いてお参りすれば、大きな功徳が得られるとの信仰から。
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重信さんは、「御朱印集めを楽しみにしなければ、訪れることはなかったであろう寺社が、いくつもある」と記している。御朱印に関心を持つことで、神社仏閣めぐりがより奥深いものとなるなら、やってみて損はない。本書を手引きに、次の巡礼を計画してみてはいかがだろう。
【今日の教養を高める1冊】
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)で配信している。