高度経済成長真っ只中である昭和30~40年代。日本の地方から、世界に通じる家具が生産されていました。成形合板という木を自由に曲げる技術を得意とする、山形県天童市に本社を置く天童木工の製品です。
当時、日本の建築界は活気に沸いていました。ル・コルビュジエの弟子である前川國男が設計した「東京文化会館」(昭和36年竣工)、昭和39年の東京オリンピックの会場となった、近未来的なデザインが特徴の丹下健三設計「国立代々木競技場」(昭和39年竣工)など、20世紀を代表する名建築が次々に竣工していたためです。
そして、これら日本建築史に燦然と輝く名建築には、天童木工の製品が納入されていました。
戦後建築界の旗手の一人であり、20世紀のポストモダン建築をリードした磯崎新氏も、家具の製作を天童木工に依頼した一人でした。女優マリリン・モンローのボディラインを表現した“モンローチェア”がそれです。
正面から見ると直線的なハイバックチェアーに見えますが、横から見るとあら不思議、マリリン・モンローのセクシーな立ち姿を彷彿とさせる曲線が現れるという、騙し絵のような造形。
磯崎氏の要求に応えるため、この独特の表現には、合板の厚みを変える“不等厚成形合板”という高度な成形技術が活かされています。
磯崎氏と同様に戦後建築界を牽引した存在である黒川紀章氏は、独立して間もない30代の頃に、「寒河江市庁舎」(昭和42年竣工)を設計しました。この寒河江市庁舎にも天童木工の製品が納入されています。
のちに、黒川氏と天童木工との本格的な共演が実演したのは、大阪市の「国立文楽劇場」(昭和59年竣工)。抽象化した日本の意匠をデザインに盛り込んだ、洗練された美しいイージーチェアやテーブルが誕生しました。若かりし頃に山形で生まれた絆が、後に大きく開花した例といえます。
戦後、日本の建築は世界をリードする存在となり、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞は7人もの日本人が受賞しています。こうした戦後建築の発展を影で支えたものの一つに、建築家の自由な表現を形にしてきた天童木工の成形合板の技術があると言っても過言ではないでしょう。
文:山内貴範
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