文/熊谷透(福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 文化財調査員)

細川京兆邸などを参考に復元した朝倉館復元模型。(一乗谷朝倉氏遺跡資料館蔵)

細川京兆邸などを参考に復元した朝倉館復元模型。(一乗谷朝倉氏遺跡資料館蔵)

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、美濃守護代の斎藤道三(演・本木雅弘)が「殿」と呼ばれる一方で、美濃守護の土岐頼芸(演・尾美としのり)が「御屋形様」と呼ばれていました。その違いはなんなのでしょうか? 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の文化財調査員・熊谷透氏がリポートします。

* * *

斎藤道三が「殿」と呼ばれていたのに対して、「お屋形さま」と呼ばれていた美濃の守護・土岐頼芸。これはおそらく「屋形」が室町幕府体制下における守護クラス大名の伝統的な呼称であったためで、そして何より「屋形」という称号自体の起源がそもそも土岐家だ(と少なくとも土岐氏自身は考えていた)からでしょう。

『土岐家聞書』によれば、南北朝のころ美濃に後光厳(ごこうごん)天皇の行宮(あんぐう)が建てられましたが、還御の際にその建物に「屋形」号が下賜されて、美濃守護土岐家の住居として移築されたようです。

そして、土岐家を識別するいわばブランドとしての機能を有していたこの「屋形」という建物の名称が諸家に広まって、大名の住居とその主人を表す一般的名称として定着するに至ったのだと述べられています。

このうち後光厳天皇の美濃への行幸は史実なのですが、「屋形」と号された建物が下賜されたエピソードは、幕府のみならず天皇によっても権威づけられた土岐氏の家格の誇示が意図されていると考えられ、当時どれ程共有されていたのかはわかりません。

しかし「屋形」の建物について具体的に述べられている点が興味深く、そこから当時の建物構造の一端を知ることができます。

例えば下賜された「屋形」の建物が今(永正年間=1504~1521年頃か?)も残っていて「皇居の時の丸柱のままだ」と述べられています。これは、丸柱がいわゆる寝殿造以来の貴族住居の特徴で古式であり、当時の武家住居が書院造へと移行して、既に角柱となっていた事を踏まえた、建築史的に見ても正確な言及といえます。

また、土岐家のこのような由緒正しき「屋形」の建物の造りには細かなルールが定められていると述べられており、そこには「御主殿(ごしゅでん)」「唐破風(からはふ)」「沓脱(くつぬぎ)」「妻戸(つまど)」「蔀(しとみ)」「御会所(ごかいしょ)」「狐戸(きつねど)」「ひはだ屋(檜皮葺)」「板屋(板葺)」「門はかぶ木(冠木門)」「大門(だいもん)」など、寝殿造以来の伝統的な建具等とともに、室町時代後期の武家住居に相応しい屋敷構えも掲出されています。

このうち「唐破風」や「狐戸」などの屋根構造は、細川京兆邸や三好邸などの在京の大名屋形を特徴づけるファサードとして『初期洛中洛外図屏風』にも実際に描かれています。

「朝倉館」で元服、改名した足利義昭

『麒麟がくる』では明智光秀は美濃を離れた後に越前に入ったことになっています。越前を治めた朝倉氏の城下町一乗谷は、いまや自然豊かな史跡公園として発掘整備が進んでいますが、そのうち錦鯉の泳ぐ水濠で囲まれた一郭はかつて朝倉義景が住んだ朝倉館(屋形)の跡地です。

朝倉家は土岐家のように「屋形」と呼ばれるような守護の家柄ではありませんでしたが、この水濠からは「永禄十年」や「御屋形様」と墨書された木札が出土しており、朝倉義景が少なくとも一乗谷の人々に「御屋形様」と呼ばれて敬われていた事が考古学の発掘成果から明らかになっています。

朝倉館跡の水堀から出土した木札。「御屋形様」「永禄十年正月十三日三番衆」の文字が見える。(一乗谷朝倉氏遺跡資料館蔵)

朝倉館跡の水堀から出土した木札。「御屋形様」「永禄十年正月十三日三番衆」の文字が見える。(一乗谷朝倉氏遺跡資料館蔵)

永禄11年(1568)5月17日、後に室町幕府最後の将軍となる足利義昭はこの朝倉館を訪れています。三好三人衆らによって将軍・義輝が殺害された永禄の政変後、京に入ることのできない足利義秋は畿内を脱出して、同10年秋から翌年夏まで越前の一乗谷に滞在していましたが、義秋が「義昭」と改名し元服を済ませた場所はここ朝倉館でした。

この義昭の来訪を記した『御成記』等の記録によって復元される空間構造が、朝倉館跡で発掘された礎石跡ともよく一致することは、先学の調査研究の蓄積によって明らかにされています。

土岐家の屋形や洛中洛外図屏風に描かれた細川京兆邸などは室町時代後期の大名屋形のイメージを与えてくれるものですが、いまや跡形もありません。朝倉館跡も今は建物の礎石を残すのみです。

しかし、『御成記』を念頭に朝倉館跡を散策してみると、足利義昭が献上馬を眺めた主殿跡や、酒宴の主会場となった会所跡、そして朝倉義景が舞を踊った広縁跡などを実際に辿ることができます。

すると、それらの空間が近世城郭の御殿建築に比べると意外とスケールが小さく、彼らが顔色のわかる距離で話していたことなど、当時の大名屋形での様相をいきいきと感じることができるでしょう。

朝倉館跡空撮。

朝倉館跡空撮。

文/熊谷透(福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 文化財調査員)昭和59年、静岡県生まれ。京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科博士前期課程修了。平成26年より一乗谷朝倉氏遺跡資料館の文化財調査員(建築史)を務める。主な論考に「永正年間以前の細川典厩家の邸宅について」などがある。

 

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