織田信長と今川義元の戦いといえば、桶狭間の戦いが有名だが、遡ること6年前の天文23年(1554)、若き信長が初めて鉄砲を使用して今川軍を破った合戦があった。電光石火の進軍が称賛される村木砦の戦いが、『麒麟がくる』でも描かれた。
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ライターI(以下I):斎藤道三と信長による聖徳寺の会見が行なわれましたね。
編集者A(以下A):ひょうたんを下げていた信長が大紋直垂姿で現れる。〈帰蝶の手の上で踊る尾張の一たわけでございます〉というセリフ。300挺もの鉄砲で道三の度肝を抜いた会見は、信長の圧勝でした。
I:演出は〈女軍師・帰蝶〉という設定ですからね。それにしても本木道三と染谷信長のやり取りは見どころ満載でしたね。
A:会見の中では興味深いやり取りがありました。織田家のルーツを信長が語る場面です。〈織田家はさしたる家柄ではない。元は越前の片田舎で神主をやっていた斯波家の家来〉といった上で、すべて己が新たに築いていくほかない、それをやった男が美濃にいると義父を持ち上げました。
I:越前の片田舎というのは、現在の越前町の劔神社のことですね。織田家が神官を務めていた神社で、信長も劔神社を「氏神」と認めていたようです。
A:その越前町の〈織田〉という地名が〈おだ〉ではなく〈おた〉と読むので、本当は〈おた のぶなが〉なのでは? という見方もありますね。
I:さらにこんなセリフもありました。〈家柄も血筋もない。鉄砲は百姓でも撃てる。その鉄砲は金で買える。これからは戦も世の中もどんどん変わりましょう。われらも変わらねば。そう思われませぬか〉というセリフはまさにこの時代を象徴していると感じました。
A:〈これからは戦も世の中も変わりましょう〉というセリフは、織田家と今川家が戦った村木砦の戦いにかかっているわけです。桶狭間の戦いの6年前、21歳の信長が初めて鉄砲を使用した合戦です。
I:『サライ』で歴史作家の安部龍太郎さんと三重大の藤田達生教授のコンビで連載が続いている「半島をゆく」で最初の取材地に選んだ場所ですよね。
A: はい。もう6年前のことになります。今川義元が築いた村木砦跡にある八釼神社や信長が本陣をおいた場所に立つ村木神社、戦勝祝いをしたという飯喰場(いくいば)跡などをめぐりました。信長が本陣をおいた場所は、村木砦を見下ろす高台にあり、距離も500mほど。藤田教授が「ここに陣を敷かれたら今川勢はお手上げですよ。砦の様子は丸見えだし、戦術的には最高の場所ですから」と語っていたのが印象的です(『半島をゆく 信長と戦国興亡編』より)。
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