文・写真/大井美紗子(海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター)

ヘレン・ケラー

ヘレン・ケラー。見えない・聞こえない・話せないと三重の障害を抱えながらも、精力的に講演と著述業を行った活動家である。

ヘレンの名を聞くと、舞台『奇跡の人』を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。1959年の初演から今も世界中で愛されている作品で、今年4月からは日本各地で高畑充希主演の作品が上演されている。ただ、この「奇跡の人」がヘレンではなく彼女の家庭教師サリバン先生を指すという事実を知っている方はどれだけいるだろう。

母は肺炎、父はアル中。過酷な環境で視力を失う

『奇跡の人』の原題は『The miracle worker』。「奇跡をもたらした人」という意味である。ヘレン・ケラーの存在が奇跡なら、それを可能にした人がサリバン先生なのだ。

サリバン先生のフルネームは「アン・マンスフィールド・サリバン・メイシー」で、アメリカではファーストネーム「アン」の愛称である「アニー」と呼ばれることが多い。ここでも親しみと敬意を込めて「アニー」と呼ぶことにしよう。

アニーはヘレン・ケラーと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に過酷な環境を乗り越えた人である。しかしその功績は長年、ヘレンほど注目されることがなかった。ヘレンは1973年に米国女性の栄誉殿堂に名前を連ねるが、アニーが殿堂入りしたのはそれより30年も後の2003年である。

アニーはアメリカ北部・マサチューセッツ州に入植した貧しいアイルランド移民の家庭に生まれた。5歳頃に眼病を患うが治療できず、視力を失う。母親は肺炎で亡くなり、アルコール中毒の父親は子どもたちを孤児院に放り込んだ。衛生環境のひどい孤児院で、アニーの弟も命を落とした。アニーは14歳で盲学校に入るまで読み書きもできず、自分の誕生日さえ知らなかった。そんな出自を恥じたのか、彼女は60歳になるまで自分の過去を語ることがなかった。だから人々がアニーの生い立ちを知る機会はなかなか訪れなかったのである。

アニーが初めてヘレンに教えた単語は「doll(人形)」。両親に可愛がられていたヘレンは、人形やその服をたくさん与えられていた。一方アニーは、大人になるまで人形を持つことがなかった

アニーが初めてヘレンに教えた単語は「doll(人形)」。両親に可愛がられていたヘレンは、人形やその服をたくさん与えられていた。一方アニーは、大人になるまで人形を持つことがなかった

野生児ヘレンと根くらべ

盲学校に入ると、アニーは勉強に明け暮れた。何度か受けた手術のおかげで視力も回復し、卒業式では総代としてスピーチを行うまでになった。ただ、卒業後のあてはなかった。そんな時、はるか南のアラバマ州で盲ろうの少女のために家庭教師を探しているという話が舞い込んでくる。教師に興味はないし、アラバマは南北戦争で北部の敵だった州だ。初めは躊躇したが、どうしても働きたかったアニーはその話を受けることにした。

アニーがアラバマ州タスカンビアにあるケラー家へ着いたのは、1887年3月3日。ヘレンは7歳、アニーは20歳。ヘレンは後に、その日を「私の魂が誕生した日」と振り返っている。

アラバマ州にあるヘレン・ケラーの生家「アイビー・グリーン」。生まれ育った町から約2000キロも南に越したアニーは、当初「蒸し暑くて頭痛がする」と嘆いていた

アラバマ州にあるヘレン・ケラーの生家「アイビー・グリーン」。生まれ育った町から約2000キロも南に越したアニーは、当初「蒸し暑くて頭痛がする」と嘆いていた

ヘレンは、手の付けられない野生児だった。1歳9か月のときに病で視力と聴力を失い、以来暗闇のなかを生きていた。人と意思疎通ができずに癇癪を起こし、相手をぶったり物を壊したり。両親はヘレンを不憫に思うと同時にどう育てたらいいのかわからず、お手上げ状態だった。

母親を階段下の食糧庫(左手が食糧庫の扉)に閉じ込めたこともある。母親のケイト・ケラーはドアを叩き、足を踏み鳴らして助けを呼んだが、ヘレンはその振動をただ面白がっていたという

母親を階段下の食糧庫(左手が食糧庫の扉)に閉じ込めたこともある。母親のケイト・ケラーはドアを叩き、足を踏み鳴らして助けを呼んだが、ヘレンはその振動をただ面白がっていたという

アニーには、ヘレンの気持ちがよくわかった。何も見えない、言葉もわからない孤独な世界で、自分もずっと苛立ちを抱えてきたからだ。しかし、だからといってワガママが許される訳ではない。ケラー家に着いて早々、アニーはヘレンと「バトル」を繰り広げる。朝食の席でヘレンは人の皿から物をとり、手づかみで口に押し込んでいた。それを誰も注意しない。アニーは家族をダイニングルームから出し、一対一でヘレンに食事のマナーを教えた。ヘレンは暴れて抵抗したが、数時間に及ぶ闘いの末、ついに自分の皿からスプーンを使って食べることに成功した。

ケラー家のダイニングルーム。舞台や映画、本でよく描かれる朝食のバトルはここで起こった

ケラー家のダイニングルーム。舞台や映画、本でよく描かれる朝食のバトルはここで起こった

その後もアニーは厳しくしつけを施した。ヘレンは頑固者で言うことを聞かなかったが、アニーはそれ以上に頑固だった。初め、ヘレンの父アーサーは「あんな北部の田舎娘、ボストンに帰してしまえ」といい顔をしなかったが、2週間も経つとヘレンはすっかり落ち着きのある少女に変貌を遂げ、家族もアニーに全幅の信頼を寄せるようになった。

ヘレンの部屋。今まで人に服を着せてもらっていたヘレンに、アニーは「自分で着替えをするまで朝食なし」と言い渡した。ヘレンは抵抗し、朝10時近くまでナイトガウンのまま部屋に閉じこもっていたことがある

ヘレンの部屋。今まで人に服を着せてもらっていたヘレンに、アニーは「自分で着替えをするまで朝食なし」と言い渡した。ヘレンは抵抗し、朝10時近くまでナイトガウンのまま部屋に閉じこもっていたことがある

すべての物には名前がある

アニーがやってきて1か月。ヘレンは徐々に、物の名前に興味を持ち始める。アニーがことあるごとにヘレンの手のひらへ単語のつづりを書いていたからだ。そして4月5日の朝、多くの人が知るあの瞬間が訪れる。井戸の水に触れ、ヘレンが「Water」という言葉を知った瞬間だ。

厳密にいえば、ヘレンはそのときに「水」という言葉を知ったのではない。それ以前、もっといえば視力・聴力を失う前から知っていた(1歳9か月で病にかかる前から、ヘレンはいくつか単語を発していた。言葉の早い子だったようだ)。井戸の水も、朝食のときにマグカップから飲む水も、同じ物。そして物には必ず名前があるという概念が、井戸水に触れた瞬間、天啓のように体へ注ぎ込んできたのだ。

ヘレンケラーが「Water」の意味を理解した井戸は、今も大切に保存されている

ヘレンケラーが「Water」の意味を理解した井戸は、今も大切に保存されている

ヘレンはスポンジのように言葉を吸収していった。4月5日のうちに30単語を覚え、5月の終わりには語彙数は300にまで増えていた。盲学校に入って勉学に励み、20歳になるとラドクリフ校(現在のハーバード大学)に入学する。24歳で成績優秀者として卒業した瞬間、大学の学位を取得した世界初の盲ろう者が生まれた。

ヘレンケラーが実際に使っていた椅子と点字図書

ヘレンケラーが実際に使っていた椅子と点字図書

大学卒業後も、アニーとヘレンは片時も離れなかった。アニーは39歳で結婚しているのだが、その結婚生活もヘレンを一番に優先していたせいで破綻してしまった。

1936年、アニーは70歳で亡くなった。遺されたヘレンはどうなるだろうと人々は心配したが、それは杞憂に過ぎなかった。アニーは後継者をしっかり育てていたし、なによりそれまでの50年間、「普通の生活ができること」を目的としてヘレンを様々な場所へ連れ出し、多くの人々に会わせていたからだ。アニーはただヘレンの添え木となるのではなく、自分がいなくても立てるようにヘレンの足元を固めていた。自活を旨としていたアニーの教育方針は、教育者すべてが見習うべきものとして評価されている。

アラバマののどかな町にある「アイビー・グリーン」

ヘレンの生家アイビー・グリーン(http://helenkellerbirthplace.org/)は今でも見学可能だ。ここで紹介している写真はすべてアイビー・グリーン内で撮影したものである。アラバマ州タスカンビアという立地は車がないとアクセスできないが、スタッフの方によると毎年驚くほど多くの日本人が訪れているという。実際、日本にまつわる展示が多く、日本とヘレンとの縁の強さを感じさせる。

映画『奇跡の人』のポスター。英語版と日本語版が貼られている

映画『奇跡の人』のポスター。英語版と日本語版が貼られている

世界各地で翻訳出版されている、ヘレンケラーの著作と伝記。日本語訳のものが最も多く展示されている

世界各地で翻訳出版されている、ヘレンケラーの著作と伝記。日本語訳のものが最も多く展示されている

ヘレンは日本を3回訪れている。これは渡日時に贈られた陶器など

ヘレンは日本を3回訪れている。これは渡日時に贈られた陶器など

ヘレンは、アニーと出会った日を「私の魂が誕生した日」と表現した。それは同時に、「偉大な教師アニーが誕生した日」とも言えるかもしれない。生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっていた貧しい少女は、ヘレンと出会い共に歩んだことで、世界中の尊敬を集める教師になった。

アイビー・グリーンを訪れ、ふたりが生んだ「奇跡」をぜひご覧になっていただきたい。

【アイビー・グリーン住所】
300 North Commons Street, West
Tuscumbia, Alabama 35674

【参考書籍】
“Helen’s Eyes”, Marfé Ferguson Delano, National Geographic Society

文・写真/大井美紗子(アメリカ在住ライター)
アメリカ南部・アラバマ州在住。日本の出版社で単行本の編集者を務めた後、2015年渡米。ライティングのほかに翻訳も手掛ける。日英翻訳書に『京都の仏像なぞり描き』(PHP研究所)など。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)所属。

 

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