『西行物語』より。庵で桜を愛でる西行。国立国会図書館所蔵

写真・文/岡田彩佑実

願わくば花のしたにて春死なむ、その如月の望月(もちづき)のころ–。月に照らされた桜の下で死にたいと願う、あまりに有名な西行の和歌だ。西行は出家僧らしからぬ程、桜に執心していたといい、桜の名所吉野に庵を結んだこともあり、数多くの花(桜)を愛でる歌を詠んだ。

世阿弥作とされる能に『西行桜』がある。京都西山に棲む西行の庵室は花の盛り。そこへ大勢の花見客がやってくる。心静かにひとり桜を眺めていたい西行だが、遥々訪ねてきた人々を追い返すこともできず、皆とともに桜を眺めていたが、ふと「花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の咎にはありける」(このように人々が群れ来るのは、桜のせいだ)と口ずさむ。

その夜、桜の空洞から白髪の老人が現れて、「非情無心の草木に浮世の咎はないはずだ」と西行に問いただす。老桜の精は、都の桜の名所を讃えて舞い、夜明けとともに消え去る……。桜の精に若い女ではなく老翁を配するところは、まさしく能の幽玄の境地といえるだろう。

『西行桜』において、西行はシテ(主役)ではなく、ワキである。北面の武士として宮中の権力闘争を垣間見、源平の争乱を間近で見届け、和歌への探究心の赴くまま陸奥、吉野、高野、伊勢、熊野、四国へと旅をした。まさに西行の生き様は、「ワキ」そのもの、物語の舞台、人物、事件に邂逅する人生でもあったのだろう。

ちなみに、京都市西京区大原野にある勝持寺(しょうじじ)は、西行が出家をした寺とされ、西行が植えたと伝わる「西行桜」がある。能の詞章では、庵室は小倉山(京都市右京区)としているが、西行は冒頭の歌の望み通り、文治6(1190)年2月16日に往生を遂げた地は、弘川寺(大阪府南河内郡)とされている。

写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。

※本記事は「まいにちサライ」2014年5月28日配信分を転載したものです。

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