今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「隆盛」
--吉井友実

薩摩の西郷どんの名前としてあまりに名高い「隆盛」という名。実は、吉井友実(通称・幸輔)という人物が、“誤って”付けてしまった2文字なのである。

どういうことか。順を追って説明しよう。

吉井友実は、薩摩藩士・吉井友昌の長男。幕末の志士として、尊皇攘夷運動に取り組んだ。維新後は、元老院議員や枢密顧問官、日本鉄道社長などを歴任した。

明治以前、上層階級の男子は、習慣として、通称と諱(いみな)という2種の名前を有していた。通称は複数使い分けることも多く、幼児期には幼名というものもあった。さらには、長じて雅号まで使う場合が少なくなかったから、ひとりの人間がかなりの数の名前を持っていたことになる。

たとえば、上野公園の銅像でも親しまれる西郷どんの場合、幼名は小吉、通称は吉之介で、その後、吉兵衛、吉之助という名前も使った。諱は隆永(たかなが)で、南洲と号したことが知られている。

明治という新しい時代を迎え、日本国民のすべてに姓名を持たせて掌握していく近代化の中で、名前もひとつにしていくことが決まった。諱を使うのも通称を使うのも、あるいは新しい名前をつけるのも自由であった。これを受けて、西郷は通称の吉之助(介)を廃し、諱の隆永を自身の名前として使っていくつもりであったらしい。

ところが、王政復古の賞典で位階を授けられる際、ひとつの事件が起こった。このとき、西郷本人は函館遠征の船上にあって出席することができず、親友の吉井が代理で届け出をした。だが、吉井はうろ覚えで、本来なら「隆永」と登録すべきところを、勘違いして西郷の父親の諱である「隆盛」の2文字を朝廷に奏上してしまったのである。

そんな勘違いから「西郷隆永」ならぬ「西郷隆盛」ということになってしまったのだが、本人はさほどそれを気にする様子もなかったという。

吉井は大いに反省しただろうが、こうした行き違いが起こるのも無理ないところがあった。というのも、諱は実生活ではほとんど用いられることがなく、周りには知られていないことも多かった。諱はその人の霊的な人格と強く結びついているというアニミズム的な考え方から、諱で呼びかけることは無礼なふるまいとされていた。親や主君など、ごく一部の例外的な立場にある者だけが、諱でその人を呼ぶことを許容されていたのである。

似たような話は、西郷隆盛の実弟の西郷従道にもある。西郷従道は通称は慎吾、諱は隆道だった。

維新後、太政官に名前を届け出るに当たり、口頭で「りゅうどう」と告げたところ、薩摩訛りがあったため、係の者が「じゅうどう」と聞き違え、「西郷従道」と記されることになった。それでも、兄同様、この人もこの行き違いにまったく拘泥せず、なにごともなかったかのように西郷従道で通した。「つぐみち」と読まれることが多いが、「じゅうどう」を正式な読みとしていたという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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