今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」
--江戸川乱歩
作家の江戸川乱歩は、掲出のような、妖しく危うげなことばを好んで色紙などに記した。明智小五郎や怪人二十面相といったキャラクターを生み出して、日本の探偵小説の基盤を築く一方で、天井裏からの覗き見や蜃気楼、陰惨な性愛など、猟奇的、幻想的なテーマを取り上げた乱歩には、お似合いのことばだった。
あえて噛み砕くなら、人が現実と思い込んでいるのは夢であり、夜にみる夢の方が本物かもしれない、というほどの意味。だが、そう解釈した途端に、ちょっと現実に付き過ぎてしまう感覚が残る。
乱歩自身の履歴にも、ある種の怪しさはつきまとう。明治27年(1894)、三重県の生まれ。早大政経科卒業後、30種に余る職業を遍歴しつつ、46回もの転居を繰り返した。作家としても、真っ暗な土蔵にひとりでこもり、蝋燭(ろうそく)のあかりだけで原稿用紙に向かう、という伝説を自らつくり上げていた。
だが、この土蔵の逸話に象徴されるような乱歩の人間嫌いの傾向は、若い時分までのこと。太平洋戦争中、隣組町会の副会長を引き受けたことが転機となって、戦後は自ら陣頭に立ってミステリーの復興に尽力し、若手作家を可愛がってよく面倒を見て、飲みに連れ歩いたりもしていた。
山田風太郎も、江戸川乱歩に可愛がってもらった弟子のひとり。乱歩は風太郎のデビューのきっかけとなった懸賞小説の審査員でもあり、風太郎の才能を高く評価していた。
何かの会合の帰り道、乱歩はわざわざ仲間の一群を離れて風太郎のそばに歩み寄り、「君には才能がある。僕はそういう眼で見ているからね」と声をかけてくれた。このとき風太郎は、夏目漱石にその才を賞揚された芥川龍之介に、自らの浮き立つ気持ちを重ねたという。
乱歩は実際、風太郎の眼には漱石の如き存在に見えていた。随筆『風眼抄』に風太郎はこう綴っている。
「乱歩さんは天性の教育者であったと思う。その点、漱石に似てい
る。結果としてその数多い弟子たちに敬慕されたことにおいても」
門弟たちを導く師としての乱歩の姿は、あやうい夢などでなく、どっしりした存在感に満ちていただろう。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。