文/澤田真一

日本において、長らく人々のタンパク源になっていた食品は、大豆である。

魚では?という反論があるかもしれないが、日本列島は意外に広い。海から魚を水揚げできる土地がある一方、ほとんど水資源に恵まれない土地もある。とくにそうした地域では、大豆こそが人々を養ってきた。

大豆がなければ、今の日本の姿はない。それほどの重要な食品なのだ。

■地理環境の不利な武田信玄が強力な軍隊を維持できた理由

16世紀は「小氷河期」だったという。事実、冷夏や長雨に関する記録が他の時代より多い。つまりこの時代の日本は、慢性的な食糧不足に陥っていたのだ。そして争いは「飯の取り合い」から始まる。

足利将軍家を頂点とする室町幕府は、守護大名に強大な力を与えていた政権であった。社長よりも強い専務が何人もいれば、必ず派閥争いが起こる。それと同様に、室町幕府は、各々の独断で行動を起こした守護大名を統率することができなかったのだ。それに食糧不足が加わることで、世は混乱に陥った。

だが興味深いのは、地理の面で不利な条件を課せられていた大名ほど、粘り強さを発揮したという点だ。

たとえば武田信玄は、甲斐国(今の山梨県)の大名であったが、甲斐は貧しい土地だった。山地で耕作可能面積が少ない上に、川は急な流れで氾濫しやすかった。信玄は治水工事によりそれを改善させたのだが、甲斐が農耕に不向きな土地であるということには変わりない。

しかも甲斐だけはでなく、甲信地方全体が似たような環境である。海がないから、塩や海産物の供給は関東の北条、東海の今川、北越の上杉のいずれかに頼るしかない。その時々の同盟相手に頭を下げていた、ということだ。

だが、信玄は周辺の大領主と同盟を結ぶことはあっても、従属することはなかった。彼は様々な工夫を凝らし、周辺諸国に対抗し得るだけの強力な軍隊を維持し続けていたのだ。

その工夫のひとつが、大豆である。

信玄はまず、支配地域内で大豆の生産を奨励した。そしてその大豆から味噌を作らせた。味噌は古くからの保存食である。しかも塩分が配合されているから、慢性的な塩不足に悩む甲信地方の兵にとっては水よりありがたいものだった。

缶詰やレトルトパックのない時代、世界の君主は「食糧を長く保存できる方法」を常に考えていた。当たり前だが、戦争をするには兵に与える食糧が欠かせない。そして、せっかく持たせた食糧が腐ってしまえばそこで戦争は終わりだ。万単位の軍団を遠方へ派遣するためには、保存食の開発が絶対不可欠である。

フランス皇帝ナポレオンも、保存食の開発者に対して賞金を与えたほどだ。彼が見出したニコラ・アペールという人物は、フランス軍のために瓶詰めの保存食を開発して栄誉と賞金を手にした。

つまるところ、信玄がやったこともそれと同じである。だが、信玄の場合はやはり日本人の身体にフィットした形の「食糧改革」を実施したのだ。そこに「大豆」が大きな役割を果たした。

■日本人はなぜ肉ではなく大豆を主なタンパク源に選んだのか

じつは日本人がタンパク源としての肉を食べるようになってから、まだ150年も経っていない。それは「殺生を禁じる仏教の教えによるもの」とされてきたが、それ以前に日本は欧米ほど家畜を生産する環境が整っていなかったことが大きい。

中世から近世にかけてのヨーロッパの農業は、三圃作が主流だった。これは土地を3等分し、そのうちのひとつを休耕地にするというやり方だ。そしてその休耕地に家畜を放牧する。すると家畜の糞尿が休耕地に栄養を与えてくれるという寸法だ。

だが、日本の場合はそもそも水田から穀物を収穫している。稲作の場合は水が栄養を循環させてくれるから、わざわざ土地の3分の1を休耕地にする必要はない。言い換えれば、食用家畜のために限られた耕作可能面積を割くことができないのだ。日本という国は広い平野に恵まれていないことにも注意すべきである。

それに比べたら、大豆はさほど手間がかからない。小さく痩せている土地でも立派に育ち、様々なものに加工できる。日本人がなぜ肉ではなく大豆を主なタンパク源に選んだのかという答えは、「そのほうが合理的だから」という結論に集約できる。

昔に比べ、現代は食糧が豊富にある。少なくとも、21世紀の日本で飢饉が発生することはないだろう。だが、飢える心配がなくなった代わりに「余分な栄養」という問題が発生した。脂肪は本来、餓死や凍死を避けるための大事な栄養分であるが、飽食の時代ではそれがむしろ人の健康に害を及ぼしている。

それに比べ、我々の先祖は必要な分だけの栄養を摂取して最大限のパフォーマンスを発揮した。槍と刀と甲冑を身につけて1日20km程度の行軍は当然のようにやった。しかもそれは平坦な舗装道路の上ではなく、未開の山道である。先人は、タンパク質やビタミンの存在など知らなかったが、古来積み重ねてきた知恵を駆使して、自分たちの身体に適合した最高の食品を生み出していたのだ。

よく言われるように、大豆は「畑の肉」である。インドネシアにも「テンペ」という大豆の発酵食品があるし、動物や根菜を食べないインドのジャイナ教徒を支えているのも大豆だ。人類を支える救荒作物であると同時に、世界の様々な宗教にも適合した大豆。これ以上の功績を残した食品が、他にあるだろうか。

取材・文・写真/澤田真一
フリーライター。静岡県静岡市出身。各メディアで経済情報、日本文化、最先端テクノロジーに関する記事を執筆している。

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2024年
11月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

「特製サライのおせち三段重」予約開始!

小学館百貨店Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店