文/矢島裕紀彦
現在発売中の『サライ』本誌2月号の「藤沢周平」特集では、藤沢周平の娘である遠藤展子さんに取材をしたが、藤沢家では、口癖のようにいわれ続けてきた言葉があったという。以下のようなものである。
【藤沢家の口ぐせ】
一、普通が一番。
二、挨拶は基本。
三、いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない。
四、謝るときは、素直に非を認めて潔く謝る。
五、派手なことは嫌い、目立つことはしない。
六、自慢はしない。
このうち、なんといっても一番目の「普通が一番」というのが、藤沢周平のもっとも大切にしていたことだったと展子さんは語っていた。
時代小説家として非凡な仕事をし、多くの読者を獲得してきた藤沢周平の実績からすると、ちょっと意外の感がある。どうして「普通が一番」なのだろうか?
背景には、作家となる以前の半生の歩みがあっただろう。
そもそも藤沢は教師を天職ととらえ、地元の中学の教師となった。教育界に骨を埋めるつもりだった。ところが、結核を患って休職を余儀なくされ、病を克服したあとも復帰が叶わなかった。
地元では他の働き先も見つけられず、どうにか東京の業界新聞社に職を得た。このとき、普通に働いて暮らしていくことの嬉しさ、ありがたさをしみじみと味わっただろう。
その後、結婚して子供にも恵まれ、ささやかな幸福を噛みしめていたとき、妻が病死。やり場のない理不尽な思いが、全身を包み込んだだろう。
こんな苦渋、悲惨な思いを繰り返す中で、藤沢周平は「普通であること」の難しさと大事さを痛切に味わった。人気作家となっからも、このことを忘れなかった。
藤沢家の「普通が一番」は、単なる口先だけでなく、まさに筋金入りなのだった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。