
ライターI(以下I):さて、『豊臣兄弟!』第17回です。冒頭で、子供たち相手に武田信玄(演・高嶋政伸)が餅を搗くという、ちょっと驚きの場面が描かれました。織田信長(演・小栗旬)の台頭で、東日本の情勢は日々緊迫。小田原の北条氏、越後の上杉氏など国の存亡をかけた攻防が繰り広げられる中で、長閑に餅搗きです。そして、そこに現れたのが幕府の奉公衆(将軍側近)のひとり三淵藤英(演・味方良介)です。
編集者A(以下A):織田信長を討つようにとの要請でしたが、信玄は織田家との盟約があることを盾にいったんは断ります。ところが、三淵の従者と思われた人物が将軍足利義昭(演・尾上右近)その人という、信長と初めて対面した時と同様の設定でした。信玄は義昭を上座にすえて、義昭の要請を聞きます。
I:『麒麟がくる』の時にはこんなことはみじんも思わなかったのですが、私は、三淵藤英ら幕府の奉公衆らが、信長と将軍義昭の関係を割いたのではないかと感じてしまいました。
A:ああ。なるほど。確かに奉公衆からすれば、自らが推す義昭が将軍になったからには、ある程度、権勢を握れると思っていたのかもしれません。ところが信長らがすべての権勢を持っていってしまう。これでは話が違うぞ、これは信長の勢力を減じないといけない、ということだったのかもしれません。
I:ともに上洛を果たした際、将軍義昭は信長のことを「父上」とまで言っていましたからね。いったい何がどうなってこういう事態になっているのでしょうか。武田家にしても、もともと織田家とは同盟結んでいましたよね。
A:『信長全史』(小学館)の受け売りになりますが、織田家と武田家の蜜月時代から振り返りたいと思います。永禄8年(1565)に遡ります。桶狭間合戦の5年後です。信長は姪を養女にして武田勝頼に嫁がせます。「織田・武田同盟」の締結です。ところがこの同盟に端を発して、武田家で内紛が勃発します。今川義元の娘嶺松院を正室としていた信玄嫡男の義信が「織田・武田同盟」に反発して廃嫡。後に切腹ということになります。
I:義信切腹後も、信長嫡男信忠と信玄五女松姫の婚約(永禄10年)が整うなど、織田家と武田家の蜜月関係は続くんですよね。信長が足利義昭を奉じて上洛するのは永禄11年(1568)9月ですね。
A:永禄11年、信玄は今川氏と断交して駿河に侵攻します。この軍事行動について、今度は、娘を今川氏真に嫁がせていた北条氏康が激怒して出陣するなど混乱は続きます。信長が朝倉攻めのために出陣した元亀元年(1570)4月には、信玄からの見舞状が信長に送られています。一方で信玄は、朝倉義景(演・鶴見辰吾)にも書状を発するいわゆる「二股外交」を展開するのです。
1988年の『武田信玄』ではどう描かれた?
A:1988年の大河ドラマ『武田信玄』では、信玄(演・中井貴一)と家臣団の間で、次のようなやり取りが交わされています。場所は躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)の評定の場です。
(信玄):先ほど本願寺より使者が参ったが、実は将軍家の内書を持って参ったのじゃ。どうやら信長の振る舞い目に余るようじゃ。将軍家は早急に京にのぼれと仰せになっておる。(略)たとえ都に立つとしても今日明日というわけにはゆくまい。準備には少なくとも1年や2年はかかるであろう。
A:そのうえで信玄は、都にのぼる軍勢を3万人と設定。配下に対して、「その3万の軍勢率いて都まで半年かかったとする。その間、織田徳川とも戦わねばならね。どのくらいの金かかるかもろもろ考えて答えを出すのじゃ」と厳命するのです。演出の妙は、この評定の後の場面でまだ少女の信玄五女松姫が、信長から献上されたという三弦(三味線)を信玄の前で披露するのです。
I:なるほど。
A:『武田信玄』の場面を続けます。織田軍が比叡山延暦寺を囲んでいる際に、二条城の将軍義昭(演・市川團蔵)のもとに信長(演・石橋凌)が訪ねた際のやり取りです。
(信長):越前朝倉、近江浅井の両軍勢再び都をうかがい上様のお命狙う気配ござりましたゆえ、わが軍勢これと戦い比叡山に追い上げ、ただいまお山を囲んでおりまする。また伊勢長島の一向衆徒の乱はわが弟信興(のぶおき)を攻め殺してなお、その力増しておりまする。この元凶は本願寺門主顕如(けんにょ)にこざいますれば、近いうちに必ず捕らえ、その首はねてごらんに入れまする。
(義昭):余は経文唱えて戦う者、相手にするを好まん。
(信長):経文唱えて上様のお命狙う者あらば、これをお許しになられますか。
(義昭):あの者たちと手を結ぶほうがよいと申しておるのじゃ。余は十五代将軍足利義昭ぞ。そちの思うままに操れると思うか!
A:将軍義昭が激昂しました。信長は冷静に対処するのですが、両者が感情的に激しく対立し、決裂するさまが描かれます。ここでは、長島一向一揆との戦いで、信長の弟信興が討ち死にしていたことも語られています。朝倉・浅井との一連の合戦では、信長の弟信治も討ち死にしています。『豊臣兄弟!』ではお市(演・宮崎あおい)と信長の関係に照射されていますが、信長も大きな犠牲を払っていたのです。
三方ヶ原の戦い

I:そして、ついに三方ヶ原の合戦が勃発します。武田軍が完膚無きまでに徳川軍を叩き潰します。アンチ徳川の歴史ファンの方々には謎なのですが、なぜこの時信玄は、家康(演・松下洸平)を討ち取ろうとは思わなかったのでしょう。
A:ざっくりいうと、信玄にとって、家康は眼中になかったのではないかと思ったりもします。そもそも浜松城を攻めることなく、三河を素通りして進軍しようとする武田軍に対して、それでは面目が立たないと会戦に及んだのが、三方ヶ原合戦。家康など相手にせずに西上したかったのではないでしょうか。
I:いつもは周囲を煙に巻いた感じの家康ですが、さすがに大敗の三方ヶ原では精彩を欠いていましたね。
A:当欄では以前、「元亀の年号の間、信長は地獄を見る」と言及しました。「朝倉・浅井」「一向一揆」「本願寺」。信長の周囲は敵だらけ。そこに武田信玄が京都を目指して進軍してきて、家康を蹴散らしてしまう。前述のように長島一向一揆では弟信興を失うなど、信長は苦戦中でした。まさに信長最大のピンチ。ところが、朝倉義景が周囲の熱を共有できずに帰国。信玄が朝倉義景を難詰する書状が残されていて、「アンチ信長」の人々にとっては地団駄を踏むようなエピソードも残されています。
I:そうした緊迫した情勢の中で、『豊臣兄弟!』では、武田信玄が餅をのどに詰まらせて急逝してしまいます。大河ドラマのレジェンド俳優高嶋政伸さんを起用してのこの展開。ちょっと私は納得いきません。
A:まあまあ。これはこれでいいではないですか……。さて、高嶋政伸さんといえば、1991年に名作大河の誉れ高い『太平記』で足利尊氏(演・真田広之)の弟直義を、1996年の『秀吉』では秀吉(演・竹中直人)の弟小一郎秀長を好演しました。「姉さん、事件です」のフレーズで知られる代表作の『HOTEL』でも弟ですから、今回も何か「弟」役があったらよかったのでは、とは思ったりします。
I:とにかく第17回はてんこ盛りの回になりました。印象的だったのが、斎藤龍興(演・濱田龍臣)。劇中では紹介されませんでしたが、撤退戦の中で討ち死にします。稲葉山から各地を転戦して美濃復帰を目指しましたが、夢は果たせませんでした。
A:将軍義昭も、粗末な車に乗せられて京を去りました。京都追放で室町幕府は滅亡したと紹介されましたが、これは「結果的に」この時だったということになります。これ以降も現職の将軍であり続け、京都復帰を虎視眈々と狙っていました。
I:15年後に将軍復帰した足利義稙が一時、拠点とした鞆(広島県福山市)を在所にしていたそうですね。
A:そうしたことが今後描かれるのかどうか。明智光秀(演・要潤)との関係はどうなるのか。長宗我部元親(演・磯部寛之)は絡んでくるのか来ないのか? 『豊臣兄弟!』は中盤戦に突入します。
※宮崎あおいの「崎」は正しくは「たつさき」。

●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











