文/濱田浩一郎

徳川家康像。

家康は天下人の器ではない?

江戸時代中期の随筆家で京都町奉行所与力を勤めたこともある神沢杜口の著作に『翁草』があります。同書は随筆であり、前編・後編2百巻にわたる大部な書物となります。内容も歴史的事実や人物、法制、裁判、文学や伝説など非常に多岐にわたるのですが、その中には織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といったいわゆる「戦国の三英傑」にまつわる逸話も記載されているのです(同書は諸資料からの抜粋や抄写を含んでいます)。ここでは同書の徳川家康に関する逸話を紹介していきますが、大河ドラマ「豊臣兄弟!」において徳川家康は松下洸平さんが演じています。

では同書には家康はどのように記述されているのでしょうか。蒲生氏郷と言えば、信長や秀吉に仕え、最終的には秀吉から会津を与えられたことで知られていますが、その氏郷の近臣が主君・氏郷に次のように問うたそうです。「太閤(秀吉)亡き後は、関白殿(秀次。秀吉の甥)に皆は従いましょうか」と。それに対し氏郷は「誰があの愚人に従う者がいようか」と答えたとのこと。

近臣は更に氏郷に問います。「天下の主となる人は誰でしょうか」と。氏郷は「加賀の又左衛門なり」と答えます。加賀の又左衛門とは、前田利家のこと。これまた信長・秀吉に仕え、ついに加賀藩の祖となった人物です。「豊臣兄弟!」では大東駿介さんが利家を演じます。近臣は続けて氏郷に質問しました。「又左衛門が天下を得ない場合は、次は誰が天下を得ましょうや」と。氏郷は「又左衛門が天下を得ないのならば、我が天下を得る」と答えたと言います。野心満々といった感じですが、近臣はそこで「家康(原文には東照宮とあります)はどうでしょうか」と主君・氏郷に尋ねました。すると氏郷は家康は「天下を得べきに非ず」、つまり家康は天下人となるような器ではないと答えたのです。なぜでしょうか。

氏郷は答えます。家康は「人に過分に知行を与える器量がないからだ」と。一方、氏郷は利家は人に過分に知行を与える、よって、利家こそ天下を得ると断言したのでした。他人に過分に知行を与える者(この場合は利家)に人はついていくということを氏郷は言いたかったのです。

ちなみに明治から大正時代にかけて活躍した歴史家・評論家の山路愛山の著書『徳川家康』にもこの逸話が取り上げられています。「彼(筆者註・家康)は蒲生氏郷より人に知行を過分に与ふる器量なきが故に天下の主になり得べきものに非ずと云はれたり」と。その上で次のような逸話を記述しています。「長久手の戦に池田信輝の首級を得たる永井直勝に織田信雄は五千石を与へんと欲したり。されど彼は言ひき 家康の家人に左程の賞行ひしこといまだ候はずと。斯くして彼は僅に千石を与へしのみ」と。つまり、秀吉との長久手の合戦(1584年)の際に武功があった永井直勝に対し、織田信雄(信長次男)は「5千石を与える」ことを提案します。ところが家康は「家康の家臣でそのような恩賞を与えたことはない」と言い、僅か千石しか永井に与えなかったというのです。

こうした逸話を見ていたら、家康は吝嗇なようにも見えますが、愛山はさにあらずと主張します。なぜか。愛山は述べます。「東軍に加りたる豊臣氏の諸将に対しては殆んど賜与に濫なりと云ふべき程に加封したり。則ち二十万石の清須(尾張)を領したる福島正則が三十万石を加へて五十万石の安芸備後両国の主となり、十五万石の吉田(三河)を領したる池田輝政が三十七万石を増して五十二万石の播磨を得たるが如き皆此例なり」と。つまり、関ヶ原の戦い(1600年)において東軍(徳川方)に加勢した諸将(福島正則や池田輝政)を戦後に大幅に加増しているということです。

【次ページは「家康が語る雷の被害を避ける方法とは?」】

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