文/鈴木拓也

大正12年の関東大地震では、東京と周辺地域が甚大な被害を受けた。
その後の復興で新たに建った店舗の中には、耐火建材として銅板やモルタルなどを用い、装飾が施されたものが数多く見られた。
今では、めっきり数を減らしたこうした店舗は「看板建築」と呼ばれる。そのごく一部は、登録有形文化財として保存され、また一部はリノベーションによって生まれ変わっている。残る大半は、老朽化や再開発の波に呑まれようとしている。
そんな看板建築をテーマとした1冊が、『新装改訂版 看板建築 昭和の商店と暮らし』(萩野正和監修/トゥーヴァージンズ https://otonaristore.com/products/9784867910696)だ。
本書は、看板建築11軒の家主のインタビュー記事をメインに、建築物の解説や古い写真資料を交えたビジュアルブック。どのような内容か、一部のインタビュー記事を要約するかたちで紹介したい。
秩父の街の変遷を約100年見守ってきた食堂
かつての秩父は、セメントと織物を基幹産業として大きく発展。一時は「100人くらいの芸者」がいるほど、賑わった街であった。そんな華やかな時代に生まれた看板建築が、パリー食堂だ。竣工は昭和2年。秩父は震災を免れたが、火事で焼けた店を再建したという。

モルタルの無骨なつくりの2階の壁には、金色の「パリー」の文字が輝き、窓の上のレリーフは、当時「ハイカラ」だと評された。この店を切り盛りするのは川辺義友さん。すこぶる景気の良かった時代を知る、生き証人の1人である。往時、食堂の2階を宴会場に改装したが、「いつも満席で、空きを待つ客の列が1階まで続いていた」と語る。
街の景色は変わったが、この看板建築はほとんど変わらない。ただ、耐震性に問題があり、耐震工事の資金調達に奔走するのが、孫の晃希さん。若き4代目として、「この店を建物ごと守りたい」と決意をみなぎらせている。

江戸っ子のあそび心が感じられる外観
日本橋大伝馬町にたたずむ刷毛・ブラシの専門店、江戸屋。徳川家継将軍お抱えの刷毛師が創業者というから、300年以上の歴史がある老舗だ。

今の店舗は、関東大震災後に再建されたもので、ビル街の中でひときわ目立つ。ルーバーと呼ばれる、縦に伸びる細長い板は、刷毛をイメージしたものと伝えられる。2階の窓の上には、フクロウを模した装飾が並ぶ。これには、当時の店主の「福がこもる・苦労をしない」という思いがこもるが、同時に「あそび心」も感じられる。
店内には、様々な刷毛・ブラシが陳列されている。「新幹線の窓を掃除するためのブラシから、日用品の歯ブラシまで3000種類以上」の品揃えだという。これらの商品は、100人ほどの各地の職人たちが作る。

第12代目店主の濱田捷利(かつとし)さんの目下の悩みは、職人の減少だ。高齢化が進む一方で、若い人がこの世界に入ってこない。技の継承と、歴史ある商店街の活性化に濱田さんは力を注ぐ。
店主が独自設計したユニークな建築物
星野写真館は、鎌倉市腰越に立つ看板建築。震災後の昭和4年、美術家志望であった2代目の店主が自ら設計したという。ここは、なんといっても2階の丸窓が印象的。窓には「3色の色ガラスと市松模様の2色のタイル」がはめられている。1階の玄関の欄間(らんま)はステンドグラスで、外光がエントランスホールに満ちるよう設計されている。右側面の壁には、特大の窓が設けられている。昔の写真撮影は、ふんだんな自然光が必要であったことの名残だ。

4代目となる現店主は、婿養子として継いだ星野敬三さん。およそ50年にわたりファインダーを覗いてきた大ベテランだ。店内には、木枠のバックスクリーンや戦前のライカ製カメラなど、歴史を感じさせる道具がひっそりと置かれている。

星野さんによれば、5代目となる人はおらず「あと数年とかじゃないかな」と言う。看板建築も幕引きとなるのだろうか。
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建築物について書かれた一般書は数あるなか、本書は人の思いやぬくもりが感じられる1冊に仕上がっている。読んでほっこりするのもよし、実際に訪ねて感慨にふけるもよし。昭和レトロという言葉に惹かれる人には、特におすすめの良書だ。
本書内写真:金子怜史、土肥祐治
【今日の教養を高める1冊】
『新装改訂版 看板建築 昭和の商店と暮らし』

定価2420円
トゥーヴァージンズ
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。











