殺到した抗議がブレイクに直結

社長は「借金の総額は数億円だ」と言った。驚きあきれたピン子さんは、財布に7000円しかないまま、事務所を飛び出す。

「当時、結婚していたけれど、亭主に出してもらおうなんて、一切思わなかった。事務所の借金で亭主を頼るというのもお門違いってもの。それにプライドもあるからね。

当面の生活費はブランド物を売って凌ぎましたよ。あとは、野村ママほか、多くの方が助けてくれた。あれはありがたかったわ。

マネージャーがいないもんだから、自分で仕事を受け、ギャラの交渉をして、スケジュールを管理。そのとき、“私って、こんなにギャラが高かったんだ”ってびっくりしました。なんでも人任せにしちゃダメね」

この背景には、ピン子さんが漫談家として10代でデビューしたことがある。中学を出たばかりの少女は、自然な流れで浪曲師だった父の所属事務所に入所する。世間知らずの娘を事務所は利用したのだ。ここでピン子さんのキャリアを振り返る。

「売れない時代は10年くらいあったかな。最初の転機は1975年、28歳のときに、バラエティ番組『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ)に出演したこと。あるニュースに関連して、豚の交尾の解説をしたのよ。すると、テレビ局に“あの下品な女は誰だ”と抗議の電話が殺到、回線がパンクしちゃったの。

このピンチがチャンスになった。だって、名前が全国に知られるようになったんだもの。俳優のオファーも来て、テレビドラマのほか、映画と出ずっぱり。

歌手としてもデビュー(1977年『哀恋蝶』)し、10万枚のヒット。歌番組だバラエティだと、テレビを付ければ泉ピン子がいるような状態だったの。

忙しかったけれど、仕事は断りませんよ。だって私が事務所の稼ぎ頭なんだもの。当時、マネージャーと付き人が8人もいて、彼らを食べさせなくちゃいけないじゃない?」

30〜40代の多忙な日々を振り返る、泉ピン子さん。

他にも事務所には経理や総務などのスタッフがいる。彼らの生活の全てを、ピン子さんの稼ぎでまかなっていた。

「父が専務になり、事務所を切り盛りしていたこともあって、ギャラは全て事務所に入れ、そこから必要なときだけお金をもらっていました。社長には“このドラマを頑張ったらこの宝石を買ってもいい?”と“お願い”することに、何の疑問も持たなかったのです。

クレジットカードで支払ったものは、事務所の口座から引き落とされていたので不便を感じたこともなかった。私が30代前半の時、父が亡くなってからは、社長が親代わりのようにしてくれてね。だから、実印も預金通帳も預けっぱなし。渡された書類には中身も読まずにサインしちゃってたのよ。バカでしょ」

鷹揚で細かいことは気にしない、まさにスターを体現した生き方だ。俳優として円熟期を迎えた52歳で事務所を飛び出すと、追いかけてきたのは借金の返済義務だった。

「その額、数億円よ。本当に悔しくて、判決が出た日は泣きました。

でも、当時は『渡鬼』が好調で、CMだって何十本もあった。私は逆境になると燃えるというか、“あたしゃ、泉ピン子だ! こんな金、返してやらぁ!”という気持ちになっちゃうんですよ。どんなことだって、やってやれないことはないんです。これは今でも思っていますよ。

びっくりするほどパワーが出て、レギュラードラマを抱えつつ、2時間ドラマ、映画にも出演。この時期に始まったのが、『ぴったんこカン・カン』(TBS 2003年〜2021年)。“泉ピン子がやるからには、人気と視聴率を取るぞ!”と。覚悟と意気込みで生まれたのが、バスガイド・ぴったん子さん」

学生服姿の安住紳一郎アナウンサーを、ガイド姿のピン子さんが振り回す様子は、お茶の間を笑いの渦に巻き込んだ。あの“ぴったん子さん”は、借金返済の覚悟から生まれたのだ。

「飽きられたら仕事がなくなると必死でしたよ。『ベルサイユのばら』の衣装を着て、パリで歌ったこともあったなあ。安住さんに会うと、“あのときのロケは、すごかったですね”と自然に言葉が出てくる。

必死になってできないことはなく、借金も数年で完済しました。悔しいですけれど、あの借金があったから、今があるとも言える。

あの一件で、世間というものがわかり、人を見る目も磨かれる。人間、死ぬまで勉強と挑戦の連続です。年齢なんて関係ないんですよ。だからね、終活する前に、ピンチをチャンスに変える“ピン活”がおすすめ。悩む前に、できることをする。これは健康維持にもつながるはずです」

ピン子さんは、世間が求める“正解”を探すのではなく、自分の頭……というよりも“腹”で考え、行動する。そのおおらかさと逞しさ、そして温かさが多くの人を魅了するのだ。2回目では森光子さん、杉村春子さんなどの名俳優たちとの交流、60か国で放送される『おしん』の撮影秘話、盟友・西田敏行さんとのエピソードを紹介していく。

泉ピン子さんの最新刊『 終活やーめた。 元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』
https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000403240

10代で漫談家でデビュー、キャバレーを渡り歩いた20代、父のがん、橋田壽賀子さんの死、52歳での何億もの借金、スキャンダル報道に大バッシング、原因不明の病気やまさかの栄養失調……ピンチをチャンスに変えてきた、泉ピン子さんの半生を綴った一冊。熱海での生活、秘蔵写真、愛用のブランド品も紹介。読めば元気になれる1冊。講談社 1980円

取材・文/前川亜紀 撮影/大坪尚人

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