知性と機知で名を成した女流狂歌師
智恵内子は、江戸座を中心に開かれた狂歌会でもその名を知られ、知性と機知をあわせ持つ作風で高く評価されていました。女流狂歌師としては、朱楽菅江の妻・節松嫁々と並び称される存在でもあります。
『狂歌若葉集(きょうかわかばしゅう)』(唐衣橘洲編)、『万載狂歌集(まんざいきょうかしゅう)』(四方赤良・朱楽菅江編)をはじめ、多くの狂歌集に名を連ねました。作品には「ふる小袖 人のみるめも 恥かしや むかししのふの うらの破れを」といった、女性らしい繊細な詠み口も見られ、時代を越えて共感を呼ぶ魅力があります。
辞世の句ににじむ静かな人生観
文化4年(1807)6月20日、63歳で逝去。辞世の句は以下の通りです。
「六十あまり 見はてぬ夢の 覚むるかと おもふもうつつ あかつきの空」
この一句からは、彼女の人生観がにじみ出ているかのようです。
まとめ
智恵内子は、女性でありながら狂歌界で名をなし、天明期の文芸黄金時代に華を添えた存在でした。夫・元木網とともに連名で登場することも多く、その名は江戸狂歌の代表的な作品群のなかで今も読み継がれています。
知性と教養を持ちながらも洒脱で柔らかな狂歌を詠んだ彼女の姿は、まさに江戸の文化を彩る一輪の花であったといえるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
