戯作デビューと代表作
天明3年(1783)、洒落本『三教色(さんきょうしき)』を初作として発表。さらに長崎丸山遊廓での唐人の遊興を題材にした『和唐珍解(わとうちんかい、もしくは、ほうとんちんけい)』では、唐音に似せた言葉遊びと日本語訳を添えるという奇抜な趣向で注目されました。
黄表紙の傑作とされる『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)』(1785)では、「金がありすぎて苦しむ」という逆説的な発想をユーモラスに描きました。題名も回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ)になっており、江戸の町人たちに高く評価されました。

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寛政の改革と弾圧
寛政元年(1789)、寛政の改革が進む中、松平定信の改革政治を揶揄した黄表紙『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』を出版し、評判を得ました。しかし、これが問題視され絶版処分を受け、以後目立った作品は少なくなっていきます。
晩年と最期
晩年は和泉屋を離縁され、落魄(らくはく)のうちに文化7年(1810)に没しました。享年、67歳。奇抜な発想と滑稽味にあふれた作品群は、今なお江戸文化の自由な精神を象徴しています。
まとめ
唐来三和は、洒落と滑稽を武器に江戸の町人文化を彩った戯作者・狂歌師でした。自由な発想で世の中を風刺した彼の作品は、当時の人々に笑いと驚きを与え、今もなお黄表紙文学の傑作として語り継がれています。
幕府の厳しい統制の中でも創作に挑んだその姿勢は、江戸文芸の自由精神を体現するものといえるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
