案内 平野久美子さん(ノンフィクション作家)
日本から近く、日本の近現代史と関係が深く、親近感があふれる台湾は今、優れた生活工芸品の宝庫だ。
素材や技術がもつ「歴史的な背景」が工芸品やインテリアの奥深さとして結実
現在、「原住民」として政府の認定を受けているのは、遥か昔に南方から黒潮に乗ってわたってきた人々の末裔で、16族がいる。清代の17世紀以降は漢民族が大陸から本格的に移住、日清戦争後の1895年(明治28)に日本の領土に組み込まれ、多文化が融合するモノづくりの素地となった。
「日本統治時代の影響もさまざまな場面に見て取れますが、産業となった典型例がイグサで編む工芸品です」(平野さん、以下同)


そこには日清戦争後に大流行したパナマ帽が関係している。当時は欧米でも日本でも、帽子は男性の社会的な階層を象徴し、パナマ帽は夏の紳士の必携品だった。文豪・夏目漱石も、明治38年に『吾輩は猫である』の原稿料で念願のパナマ帽を15円で買ったという。


写真提供/国立台湾工芸研究発展中心
「中南米産の植物繊維で編まれていたパナマ帽はもともと高価でしたが、イグサを使うことで求めやすい価格になり、一大ブームとなりました。昭和期になると内地(日本)から資本も入り、台湾北西部の苗栗県で地場産業として育ちます。経済的に潤っただけでなく、作り手の女性たちの社会的地位も見直されました」
自然の恵みの竹資源を活かす
亜熱帯から熱帯にまたがる台湾には孟宗竹、長枝竹、刺竹、麻竹、葫廬竹など竹の種類も多い。古来、竹は日用品から家屋の建築材料にまで広く使われてきた台湾の代表的素材である。
「中西部の南投県竹山鎮は古くから竹の産地として知られ、竹製品づくりの中心地です。一時期はプラスチック製品に押され、衰退しつつあった竹山鎮ですが、近年、竹資源を活かす動きが活発です」
街おこしのため、地場産業の竹を内装に使ったレストランがそのひとつ。地元の竹工芸家やデザイナーの協力を得て、廃止されたバスターミナルの2階をレストランに改装した。

同地区には個性的な竹工芸家の工房もある。清代の背負子の技術により、斬新なアレンジで洒落たリュックサックに仕立てたり、昔の農家が好んで使ってきた編み方でインテリアを作るなど、新旧の絶妙なバランスで注目されている。

「台湾は、現代人の心に響く優れたクラフトの宝庫です」
『台湾クラフトへの旅』
現地の工房、クリエイターなど28か所を訪ね、台湾の歴史や多様な文化を感じる工芸品を案内。オードリー・タンさん(元台湾行政院政務委員)推薦。

価格/3300円(税込)
小学館
B5変型判・160ページ
取材・文/五反田正宏 撮影/藤田修平、平野久美子
