取材・文/柿川鮎子

2025年のNHK大河ドラマは蔦屋重三郎を主題にした「べらぼう」である。歌麿や北斎、馬琴といった多くのアーティストを生み出した人物として知られている。番組では蔦屋重三郎の活躍を、吉原を中心とした庶民の生活の場と、江戸幕府の政治の場という二つ場面を対比させながら紹介している。

あまり交わることがない、この二つの舞台を自由に行き来した人物がいた。それが讃岐高松藩家老木村黙老(安永3年:1774年生~安政3年:1856年、83歳没)である。黙老は滝沢馬琴の作家活動に大きく関わっており、黙老が存在しなければ馬琴の作品は現在の作品とは大きく変わっていた可能性も考えられるほど、二人の関係は深かった。

滝沢馬琴は髙松藩士であったが山東京伝の指導を受け戯作に励み、髙松藩士の士分を捨てて、蔦屋重三郎の基で働いた。一見識を有して、あまり他人とは交わらなかったが、『里見八犬伝』、『回外剰筆』に書かれているように「広き大江戸に知音の友は地を拂て今は一人もあらず、只牟禮松阪の両他郷に黙老篠齋桂應三同好あるのみ」と記し、自作を家老木村黙老に送り、批評を求めており、二人は同郷の友人として、互いに尊敬し合う間柄だった。

この讃岐高松藩家老木村黙老は実に多才なお殿様で、『戯作者考補遺』を著し、元讃岐藩平賀源内、御家人太田蜀山人等の画像を描いたり、焼絵に纏わる文章、並びに焼絵「関羽図」も残していた。

大河ドラマでは平賀源内の破天荒な人物像が際立っているが、その姿を描いた木村黙老も、実はずば抜けて数奇なお殿様だったのである。今回は大河ドラマをもっと楽しく観るヒントになるかもしれない、隠れた江戸の重要人物・木村黙老と、その芸術作品・焼絵について紹介しよう。

人物の特徴を表現した黙老が描いた平賀源内『戯作者考補遺』

寛政・文化文政熟覧期・天保改革を生きた家老・木村黙老

木村黙老は家督350石高松藩家老で、名を与総右衛門。号は黙老または痴齋などと称した。幼少時、西の丸学問所で学び、格別に秀で1年後には小姓役になる人物で、代藩主の時に書院番頭から黙老50歳で国家老に栄進する。

しかし、当時の高松藩の財政は、逼迫状態で困窮し、相次ぐ旱魃(かんばつ)で民の困窮に加え、世継ぎ松平頼胤の将軍家から文姫を迎える婚儀費用10万両、屋島山麓に東照宮社殿造営費14万両、江戸上屋敷火災に伴う建築費4万両等と合わせ近畿の豪商からの借財50万両の返済に迫られていた。明らかな財政赤字である。

財政困窮逼迫の中、黙老は反対意見や異論もあったものの、巨費を投じて塩田開発などに取組んだ。そして借金を見事完済し、且つ幕末には高松藩が180万両の蓄えを持つ礎を築いたのである。

財政再建に腕を振るった経済人であっただけではなく、黙老は直真影流の目録を授けられた武道の達人であり、さらに唄や絵画も素晴らしく、焼絵を好み、芝居にも通じていた。交友関係があった文人は滝沢馬琴だけでなく、太田蜀山人、山東京傳、芝全交、十遍舎一九、恋川春町、式亭三馬等とも交流し、自著『戯作者考補遺』弘化2(1845)年に彼らの作品や人物について書いている。

家老木村黙老の焼絵への想い

黙老は讃岐高松藩主松平氏に仕え、特に八代藩主頼儀・九代藩主頼恕の信任が厚かった。文化12(1815)年、42歳の時に江戸定府を仰せつけられ、天保14(1843)年、70歳までの間に前後3回にわたり計15年間在府、江戸家老・国家老の要職に就いて藩政の枢機に参画した。

この時に知った滝沢馬琴の書物の批評を書くなどして、近世小説研究上多くの書物を残した。主著『戯作者考補遺』、『聞まゝの記』にも自身の自画像、挿絵を描いている。

自ら描いた木村黙老肖像画『戯作者考補遺』

『聞まゝの記』(国立国会図書館所蔵)は自身が見聞した逸話等を含めた覚書で、正編27冊、続編56冊、合計83冊の大部、あるいは100冊とも言われている貴重本である。しかし、残念ながら散逸してしまい、伊勢神宮文庫、披雲閣文庫、志度の多和文庫、天理図書館、並びに国立国会図書館等にその部分が所蔵されている。

『聞まゝの記』の中で黙老は、江戸初期に黙老の祖母米田氏が宮中に使えていた時に、御手自ら賜う焼絵「竹簪」に思いを馳せ、それを記録している。黙老は焼絵が大好きだったようだ。『読み下し聞くままの記 百七話』、第七卯集乾の巻に黙老が描いた「焦画 竹簪 桜の毛彫」が掲載されている。

祖母の持ち物である、江戸初期の竹製の簪(かんざし)は焼筆で毛彫りのように細く美しい桜の焼絵で製作されていた。祖母は江戸初期に宮中で仕事をしていたと伝えられており、黙老は焼筆でその竹簪を描いている。原文を抜粋すると、

現今世俗の奢侈は日増しに増し月に長し婦女の笄簪多く金銀を以てこれを打ち……略……皆金銀を以てこれを飾る。……略……この焼絵竹簪は必ず当時の製し給えるところ。至って小といえども実に有難き物にして世、教えの一端ともならんかし

これまで、竹製の簪が利用されていたが、女性たちが過度に贅沢となった結果、金や銀製の簪へと変わってしまった。この絵の様な焼絵の簪が使われていた江戸時代初期の頃の、つつましやかな生活に戻るべきだ、と、黙老は奢侈を戒めたのである。

竹製で素朴だけれど、美しい焼絵の簪を例にしているところが、黙老の人柄を感じさせる。また、黙老が焼絵を好ましく感じている点も伝わってくる。

自著で焼絵の歴史「鐵筆焦画起原」を紹介

黙老は焼絵が単に好きだっただけでなく、焼絵の歴史についても調べていた。好きが高じていろいろ調べたくなったのかもしれない。木畑貞清著『木村黙老と滝沢馬琴』(昭和10年3月:香川県教育図書(株)刊)には『聞まゝの記』第一子集乾目録(抜粋)の文中に「鐵筆焦画起原」の掲載が書かれている。黙老自身が江戸在府中に焼絵の起原を知って、記述したと考えられる。

さらに黙老は十返舎一九との交友も知られ、焼絵を復興した譜代大名山上藩稲垣定淳侯の焼絵に、十返舎一九自身が賛辞を送ったことを書き残した。つまり、木村黙老は、「焼絵再興の稲垣定淳号如蘭を知っていた」のである。

『聞まゝの記』は焼絵について記載されている。抜粋すると

鉄筆焦花之起也尚矣出續日本紀及今物語清人錢位吉謂此盪花之……當時焼画の宗画ハ鐵筆菴如連なり

北奇の愛弟子の如連の焼き絵の関羽図も紹介する。

「鐵筆菴如連」とは、江戸末期の浮世絵師葛飾北斎の弟子で葛飾如連北鼎のことである。さらには清国武風子の焼絵についても述べている。焼絵の復興者稲垣定淳は、既に天保3(1832)年に逝去されており、黙老自身も安政3(1856)年に死去しているので、黙老が焼絵を知っていた当時は、江戸で葛飾北鼎如連が活躍していたらしい。最後に、黙老自身が描いた作品について、その一部を紹介しよう。

黙老作の焼絵「塩池の神 関羽図」の大迫力

箱書き裏面:名通明字伯亮是岡井赤城ノ命ゼシ処通称亘幼名熊次郎後改称一楽号黙老又痴齋又漁隠樟川髙松藩名臣曲亭馬琴十返舎一九等ト交リ崔餘畫及歌ヲ能ス最モ焦画ガ巧ナリ安政三年十二月歿ス年八十五

関羽は後漢末期の武将で、劉備に仕えて赤壁の戦いで軍功を立て、蜀の建国に貢献した軍人である。『春秋左氏伝』に通暁し、大義名分を正すことを理想の生涯とし、身を粉にして働いた。

さらに義勇を持つ関羽は、後世、山西省の山西商人発展の源になっている塩池(南北4km,東西20km)修復に貢献し、池神廟となり、関羽の封爵「崇寧真君」が与えられた。自らも塩田開発に携わった黙老は、関羽の生涯に自分自身を投影したかもしれない。関羽の焼絵は見る人を圧倒させる力を感じさせる。軍神、財神の他に明代からは福神として神格化された関羽の姿を、焼絵で見事に描き切った。

木村黙老 関羽焦画

黙老は、久米通賢(くめみちかた 1780~1841年)から具申された「砂糖為替制度」を採択・確立し、讃岐の砂糖業に大きな貢献を行った。讃岐三白(砂糖、塩、綿)の礎に貢献し、高松藩の財政は10年ほどで五穀は実り、砂糖、坂出の塩等の特産品は増大し、藩財政は多いに改善した。

藩政改革というと、上杉鷹山(1751~1822年)があまりにも有名だが、木村黙老も決してその実績では負けていなかった。

具申した久米通賢も魅力的な人物で、黙老よりは6歳若く讃岐の測量方で発明家だった。「讃岐のエジソン」と言われる人物でもある。日本初のマッチの生産で知られており、火縄銃を火打ち石式に改良した。入浜式塩田開発という、当時としては画期的な塩田開発を行っただけでなく、日本で初めて、讃岐藩の地図を作成し、後に伊能忠敬の地図作製にも協力した。

とはいえ、元の身分は農民である。身分制度の確立していた江戸期では、黙老のような身分を超えて活躍できる人物を登用した例は少なかった。

黙老の周りにはこうした変革の時代に生きた、多くの実力者が存在していた。江戸の家老というと、出世競争ばかりしていたイメージだが、黙老の様な多方面に才能を発揮した人物は、存在していたのである。大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎が閉塞感を打ち破り、知恵で切り開く様子が爽快に描かれている。約200年前の人物が初心に返り、創意工夫の大切さの必要性を語りかけているように思える。

資料提供、取材協力 焼絵研究家 田部隆幸さん

1943年12月東京生まれ。1966年3月武蔵工業大学(現東京都市大学)機械工学科卒業。1966年4月ニッパツ(日本発条)株式会社入社。懸架用ばねの設計開発・研究に従事。国際標準ISOに日本初「ばね(TC227)」を提案・承認。『6カ国語ばね用語事典』(日本規格協会、2004年)編集幹事。2007年の定年退職後、美術分野で活動を開始。日本ばね学会、東洋大学国際井上円了学会、日本陶磁協会、河鍋暁斎記念美術館会、日本・インドネシア美術研究会会員。著作に『柳宗悦も賛美した謎の焼絵発掘―定本焼絵考』(誠文堂新光社刊)、『定本 焼絵考~日本・中国・韓国・ロシア・インドネシアの焼絵』(同)など。

取材・文/柿川鮎子 明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

 

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