初代瀬川-夫の敵を討った遊女

初代瀬川は、もともとは医師の娘でした。武士である小野田久之進に嫁ぎ、幸せな生活を送っていましたが、夫が盗賊に殺害されるという悲劇に見舞われます。困窮した彼女は、江戸の吉原遊里「松葉屋」に身を寄せ、遊女として働くこととなりました。

初代瀬川の名が語り継がれる理由は、もしかしたら夫の敵討ちを果たしたことにあるのかもしれません。享保年間(1716~1736)に吉原で偶然夫を殺した敵と出会い、見事に仇討ちを成し遂げたといわれています。

その後、瀬川は遊里を去り、尼となって浅草の幡随院(ばんずいいん)に入り「自貞」と号したそうです。この劇的な生涯は、江戸の人々の記憶に強く刻まれ、「瀬川」の名が伝説として残るきっかけとなりました。

ただし、この伝説の信憑性は定かではなく、「瀬川」の名跡が大きくなってから作られたのではないか? ともいわれています。

四代目瀬川-美貌と才覚に恵まれた名妓

四代目瀬川は、宝暦年間(1751~1764)に吉原遊里で名を馳せた遊女です。下総国小見川(現在の千葉県)出身で、「松葉屋」の所属でした。美貌はもちろん、書画、俳諧、さらには易学にまで精通していた才媛として知られています。

豪商・江戸屋宗助によって身請けされたことも話題となりました。しかし、四代目瀬川の生涯は長く続かず、28歳という若さで亡くなっています。短い生涯ながらも、彼女が残した才能や魅力は後世まで語り継がれ、名妓「瀬川」の名跡をさらなる高みに押し上げたといえるでしょう。

『江戸自慢三十六興 新よし原仲の町の桜 (江戸自慢三十六興)』著者:広重,豊国(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1305741)をトリミングして作成

鳥山検校による身請け事件。次ページに続きます

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