はじめに-後一条天皇とはどのような人物だったのか
後一条天皇(ごいちじょうてんのう)は、平安時代中期の第68代天皇です。一条天皇の第二皇子として生まれ、母は藤原道長の娘である彰子(あきこ、もしくは、しょうし)です。諱(いみな)は、敦成(あつひら)といいます。
幼くして皇位に就き、外祖父である藤原道長や、その子・頼通(よりみち)の摂政・関白の下で治世を行ないました。彼の在位期間は20年に及び、その間、藤原氏の権勢が最高潮に達したのです。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、幼くして帝となり、道長・頼通の下で治世を行なう人物(演:橋本偉成)として描かれます。
目次
はじめに-後一条天皇とはどのような人物だったのか
後一条天皇が生きた時代
後一条天皇の生涯と主な出来事
まとめ
後一条天皇が生きた時代
後一条天皇の時代は、藤原道長が政治の実権を握り、摂関政治が最盛期を迎えていました。貴族文化が花開き、和歌や文学、芸術が盛んに行なわれていた時期でもあります。その一方で、地方では刀伊の入寇(といのにゅうこう)や平忠常(たいらのただつね)の乱などの事件が発生し、朝廷はその対応に追われることもありました。
後一条天皇の生涯と主な出来事
後一条天皇は寛弘5年(1008)に生まれ、長元9年(1036)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
誕生から東宮時代
寛弘5年(1008)9月11日、一条天皇と中宮・彰子の間に生まれました。生後間もなく親王宣下を受け、敦成親王となります。寛弘8年(1011)、父・一条天皇が譲位し、叔父である三条天皇が即位すると、わずか4歳で東宮(皇太子)に立てられました。
【9歳で天皇に。次ページに続きます】