はじめに―藤原頼宗とはどのような人物だったのか

藤原頼宗(ふじわらのよりむね)は、平安時代中期の公卿であり、優れた歌人としても知られています。藤原道長(ふじわらのみちなが)の次男で、母は左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)の娘・明子(あきこ)です。

堀河右大臣、入道右大臣とも称され、その歌才は藤原公任(ふじわらのきんとう)に次ぐと称賛されていた藤原頼宗ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、道長と倫子(ともこ、または、りんし)の長男・頼通(よりみち)に比べて出世は遅れるも、のちには異母姉の彰子(あきこ、または、しょうし)を支える人物(演:上村海成)として描かれます。

藤原頼宗

目次
はじめに-藤原頼宗はどのような人物だったのか
藤原頼宗が生きた時代
藤原頼宗の足跡と主な出来事
まとめ

藤原頼宗が生きた時代

頼宗が生きた時代は、父・道長が絶大な権力を握り、最盛期を迎えていました。貴族文化が花開き、和歌や文学が盛んに創作される一方で、藤原氏内部での権力争いや、皇位継承をめぐる政治的な駆け引きが活発に行われていた時代です。

藤原頼宗の生涯と主な出来事

藤原頼宗は正暦4年(993)に生まれ、治暦元年(1065)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

幼少期と昇進

正暦4年(993)、頼宗は父・藤原道長、母・源明子のもとに生まれました。幼名は、厳君(いわぎみ)と呼ばれていました。

寛弘元年(1004)に従五位上に叙せられ、寛弘8年(1011)には19歳で従三位に昇進します。その後も検非違使(けびいし)別当、按察使(あぜち)、右衛門督(うえもんのかみ)、春宮大夫(とうぐうのだいぶ)、右大将などの要職を歴任し、順調に昇進を重ねました。

‎源明子
源明子

内大臣・右大臣への就任

永承2年(1047)、頼宗は内大臣に任じられます。康平元年(1058)には従一位に叙され、康平3年(1060)には右大臣に昇進しました。

これは公卿としての最高位であり、彼の政治的地位が頂点に達したことを示しています。

家族と皇室との関係。次ページに続きます

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