ライターI(以下I):『光る君へ』第37回は、『紫式部日記』に描かれたエピソードをベースに展開された回になりました。一条天皇(演・塩野瑛久)臨席のもとで催された『源氏物語』の講読会の場面もそのひとつ。ここで登場したのが「日本紀の局」という有名なパワーワードです。
編集者A(以下A):宰相の君(演・瀬戸さおり)が朗読したのは、『源氏物語』第25帖の「蛍」の有名な箇所。劇中では口語で朗読されていたので、ここでは原文を紹介しましょう。
「骨なくも聞こえおとしてけるかな。神代より世にあることを記しおきけるなり。日本紀などはただかたそばかし。これらにこそ道々しくくはしきことはあらめ」とて笑ひたまふ。
ざっくり説明すると、「日本書紀などの官撰の六国史よりも物語の方が面白い」というようなことをいっている箇所です。
I:前週の当欄でも触れましたが、道長(演・柄本佑)の時代には最後の六国史『日本三代実録』の続編というべき新たな国史編纂に着手していたにもかかわらず、完成を見ずに中断されていました。やっぱり「漢文でまとめた歴史よりも仮名でかいたほうが面白いんじゃない?」という空気があったのでしょうか。
A:今まで露ほどもそんなことを思うことはなかったのですが、『光る君へ』の『源氏物語』講読会の場面を見て、「物語で書かれた歴史の方が面白いし、記録としてもこちらの方がいいのでは?」という空気が『源氏物語』「蛍」帖に反映されていたとしたら面白いですよね。
I:さて、劇中では、一条天皇に日本紀に通じていると賞賛された藤式部(まひろ/演・吉高由里子)ですが、左衛門内侍(演・菅野莉央)、馬中将の君(演・羽惟)がぶつぶつと批判していました。
A:含蓄のある面白い場面でした。『紫式部日記』にはほかにも面白いエピソードがあるのですが、さすがにすべて描かれているわけではありません。例えば土御門第から内裏に戻る際の車列の話です。
I:御輿に中宮彰子(演・見上愛)と宮の宣旨(演・小林きな子)という話ですよね。糸毛の御車、黄金造りの車など豪華な車列。藤式部は5番目の車で、同乗したのが馬中将の君(笑)。馬中将の君が、「好ましくない人と乗り合わせた」といかにも思っていそうな雰囲気を出していて、藤式部も気を遣わなければならなくて宮仕えってああ大変、といったことを記述しているのが可笑しい箇所ですね。
A:藤式部を「日本紀の局」と評したのが、馬中将の君。劇中でも左衛門の内侍とともに「またいい気になって」などとぶつぶついっていますから、藤式部をめぐる人間関係もしっかり補完されているわけです。
I:車列の話は劇中でも見たかったですね。でも豪華な車列を演出するのは難しいですよね。
A:道長が藤式部の生原稿を勝手に持ち出して次女の妍子にあげちゃったというエピソードも劇中では描かれませんでしたね。いずれにしても平安中期ファン、中古文学ファンにとっては画期的な回になったのではないでしょうか。
I:『光る君へ』が『源氏物語』や『紫式部日記』を大河ドラマに昇華させた功績はめちゃくちゃ高いですね。となると、古典作品をいかに現代の大河ドラマに転換したのか、ということも、やがて研究対象になるのではないでしょうか。
A:そうですね。私たちは、『紫式部日記』があって初めて、皇子が誕生した際の道長の喜び、一連の儀式、貴族らの振る舞いについて知ることができるわけです。1000年前の人々の営みに思いを馳せた時に、次の100年後、200年後の人たちのために、大河ドラマ『光る君へ』の制作過程のやり取りを克明に記録しておく必要があると思うのです。
I:なるほど。50年後、100年後、あるいは1000年後の人たちにとっては、『光る君へ』の制作過程そのものが「歴史」になるわけですものね。
A:『源氏物語』など中古文学に関する研究の蓄積は膨大なものがあります。『光る君へ』の制作過程についても、未来の研究者のためにも記録してほしいですね。
I:道長と紫式部の御霊に捧げるものになったらいいですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり