ライターI(以下I):まひろ(演・吉高由里子)が越前で出会った周明(演・松下洸平)との関係を深め、「もっと宋の話を聞かせてほしい」とねだり、何か書物はないかと聞きます。周明は「書物のことは知らない」としつつ、「陶磁器、香木、くすり、織物、酒に食べ物、貂(テン)の毛皮もある」とまひろに教えてくれました。周明役の松下洸平さんと吉高由里子さんは民放の『最愛』(2021年)というドラマで恋人役を演じたことがあります。私も視聴していましたが、切なくていつまでも初々しくて、素敵なふたりでしたよ。
編集者A(以下A):ここで貂(テン)が登場するとは感慨深いです。貂はイタチ科の目がかわいらしい動物ですが、まひろと周明のやり取りで登場するとは驚きでした。
I:『源氏物語』の末摘花(すえつむはな)の帖には、物語の中では珍しく非美人として描かれる末摘花が、黒貂の毛皮を身にまとう場面が印象的に挿入されています。
表着には黒貂の皮衣、いときよらかにかうばしきを着たまへり。古代のゆゑづきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御よそひには似げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。
A:口語訳では、「表着には黒貂の皮衣の、まことに立派で香のしみついているのを着ておいでになる。古風で、由緒あるお召物であるけれども、やはり若い女人の御装束としては不似合いで、仰々しい感じがじつに際だっている」ということになります。
I:黒貂の毛皮は、最高級毛皮「セーブル」としても知られていますが、『源氏物語』の時代からあったのですね。
A:黒貂については、前週も触れましたが、平安初期の渤海(698~926年)と日本の交流についてまとめた『渤海と日本』(酒寄雅志著/吉川弘文館)に、平安初期に貂の毛皮が貴族の間で流行したことが触れられていて、醍醐天皇皇子の重明親王が渤海使も参列した春日祭に黒貂の裘(かわごろも)を重ね着して誇示したことが記されています。同書から引用します。
毛皮は貴族にとって自らの地位と外国と交易できる財力、そして最新のファッションを身に着ける見識を可視的にアピールできる格好のアイテムであった。
I:なるほど。黒貂は最新のファッションでもあったのですね。
A:醍醐天皇の皇子の頃は最新ファッションだったのでしょう。ところが、『源氏物語』の「末摘花」での描写はすでに、黒貂の毛皮が時代遅れだったことを表わしていると『渤海と日本』の酒寄雅志先生は記しています。
「末摘花」に見える黒貂の皮衣は、かつては貴族の憧れの的で参議にのみ許された貂裘(ちょうきゅう)であることは間違いない。しかし、この時代にあっては、憧れの的どころか、時代遅れのオールドファッションだと紫式部は認識していたのである。
I:この時代にもファッションの流行り廃りがあったのですね。面白いです。まひろと周明のたわいもないやり取りが、実はここまで深掘りできるとは。なんという奥深い脚本でしょう。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり