源雅信を演じていた益岡徹さんからのコメント
I:さて、その源雅信を演じていた益岡徹さんからコメントが寄せられているので紹介します。
貴族階級が没落したり、武士階級が興ったりした平安時代中期から末期、源氏は当初は藤原氏には大きく水を開けられたんだけれども、(藤原氏の栄華の)すぐあとに連想するのが『平家物語』の「祇園精舎の……」っていうね。あれをすごく連想しましたね。しかもそれが現代の社会にも転換できるといいますか、それがすごく面白いなとつくづく思いました。位は高いものの少し出し抜かれる源氏ですが、源雅信を役として演じただけでこれを感じられたのは、すごい収穫だったと思います。
A:益岡徹さんといえば、無名塾のご出身で、仲代達矢さんの薫陶を受けた手練れの俳優。大河ドラマでは、1990年『翔ぶが如く』での村田新八役が強く印象に残っています。その益岡徹さんが、藤原兼家の一族が今まさに勢いを増そうとする中で、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」を思い浮かべるとは、胸熱ですね。
I:「盛者必衰」「奢れるものも久しからず」というフレーズも響いてきますね。
A:益岡さんのいうように、現代にも通じますよね。例えば、絶頂を迎えている藤原道隆(演・井浦新)一家ですが、「盛者必衰」「奢れるものも久しからず」ということを考えると、詮子(演・吉田羊)を一条天皇(演・塩野瑛久)から遠ざけようとする態度など、歴史的な教訓として凝視したい場面でした。
I:「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉、今の道隆に教えてあげたいですね。さて、劇中では倫子が道長にほれ込んだわけですが、結果的にはこの選択のおかげで、雅信も幸せな生涯を閉じることができたと言えますね。その辺りについても、益岡さんが話してくれています。
雅信の最期は、婿殿(道長)に対して、見方によっては皮肉なことを言うんですけれども、(娘と道長との結婚について)その出発点は娘かわいさからの発想ですしね、「俺はお前のことは反対だったんだ」っていうことをせめて伝えるっていうのが、ふたりにとっては結果、良かったんじゃないかなっていうね。その辺の(脚本の)書かれ方も見事だなと思いました。まあ、多少、錯乱しているという解釈ももちろんできるんですけれども、家族を大事に思っていた人間なんだなというのをすごく感じました。ですから、言葉とは裏腹に、最期には道長の手をぐっと握れたというのがすごく良かったと思います。そういう意味で、生き方の問題として、いろいろと勉強になりました。あの死に方はどう考えても幸せですしね。みんなに看取ってもらって。
I:温かいホームドラマのような最期でしたよね。良い家族だなと、ドラマを見ている人たちはみんな思ったんじゃないでしょうか。益岡さんも、この一家は現代にも通じるものがあると言っていますね。
表の顔と家庭での顔が、全然違う表れ方をしているというのが、面白いですよね。奥さんを大事にして、娘には弱くて、っていうね。現代にもつながるものがあると思います。本当にやりがいのある家族の一員になれたと思っています。どんな時代でも、こういう風に夫婦関係や親子関係があればいいんじゃないかって。問題は起こるんだけど、それをなんとか解決していく、みたいなことができるのは、すごくいいなと思いました。
A:さて、これからは道長と倫子の時代になります。摂関家としての道長一家の隆盛は倫子の内助の功によるものだと思われますので、今後の倫子にも注目ですね。
I:そうですね。小麻呂(演・ニモ)もどんどん登場してもらいたいですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり