東京から金沢に移転して3年がたち、工芸の街・金沢の新たな顔としてすっかり定着した国立工芸館。2024年3月19日(火)より開催中の「卒寿記念 人間国宝 鈴木藏の志野展」が話題を呼んでいます。

今年90歳を迎える鈴木藏(すずきおさむ)さんは、日本を代表する陶芸家であり、伝統的な陶芸「志野」において、荒川豊蔵(1894-1985)に続くふたり目の人間国宝として知られます。本展では、「卒寿」を迎える鈴木さんの初期から最新作までの作品100点以上を展示。やきものファン必見の力の入った展覧会となっています。

そこで、内覧会の前日、本展の特別ゲストとして来館された脳科学者・中野信子さんに、本展の鑑賞ポイントや、中野さんならではの「やきものの楽しみ方」を聞きました。

国立工芸館「卒寿記念 人間国宝 鈴木藏の志野展」とは?

志野茶碗が美濃地方(現・岐阜県)でつくられるようになったのは、今から約400年以上前となる戦国時代後期。現存する白い釉薬をかけてつくられるやきものの中では、日本最古とされています。

分厚い釉薬が生み出す乳白色の質感や、「緋色」と呼ばれる赤みがかった焼き跡、素朴な文様の鉄絵など、その柔らかで素朴なやきものは、古来から多くの愛好者に親しまれてきました。国宝「銘 卯花墻(うのはながき)」を筆頭に、美術館・博物館に収蔵されるような名品も数多く生み出されてきました。

もちろん、現代作家の中にも有力な志野のつくり手は健在。なかでも評価が高く、人間国宝にまで上り詰めたのが、本展でとりあげられた鈴木藏さんです。

鈴木藏氏近影

鈴木さんは、志野の伝統的な素材・技術を継承しながらも、「過去にはない現代の志野をつくりたい」と試行錯誤するなかで、自身が理想とする色と形を追求してきました。その結果生まれたのが、鈴木さん独自の志野でした。ガス窯の激しい炎で焼き締められた作品には独特の強さが宿り、桃山時代にはない現代的な色彩・造形センスも加わっています。

太い筆で描いたような豪快な渦巻き状の文様が目を引く作品。/鈴木藏《志野茶碗》2023年
展示風景

鈴木さんは、「伝統ということについて、物をつくる側から言えば、革新しかありえない。つまり、革新の中から生まれたものが、伝統となっていく」とも語っています。そこで今回は、こうした伝統と革新を融合させた鈴木藏さんの世界観を、脳科学者の中野信子さんに読み解いてもらいました。ここからはインタビュー形式でお届けします。

作品に宿る「強さ」から鈴木藏さんの人間像を探りたい

左から、唐澤昌宏・国立工芸館館長、同展特別ゲスト・中野信子さん

――まず、本展を見ての感想や、鈴木さんの作品についての印象を教えてください。

中野:今日は、人間国宝・鈴木藏のバイオグラフィーを見る思いで作品を拝見しました。老齢になっても、なお新しい挑戦を続けていらっしゃることにとても心打たれましたし、どの作品を見ても、一度見たら頭に入ってくる独創性を感じました。やはり抜きん出た業績を残してきた方は、皆、見た瞬間に「その人の作品だ」とわかる「強さ」があるのだと思います。

――それはどういう意味でしょうか?

中野:作品に明確な個性があるということです。たとえ、やきものに不慣れな人であっても、鈴木さんの作品には「これが鈴木藏です」と見てとれるわかりやすさがあるんです。

展示風景

中野:心理学に「認知負荷」という考え方があるのですが、たとえば、長い数の羅列をわーっと並べられて、ここから自分なりに法則を見出してくださいと言われるよりも、「これが公式です」という風に単純に示してもらった方が、人間の脳は気持ち良さを感じ、理解できた気になるんです。一言で言い表せるかどうかが鍵になるわけですね。

科学分野でも、利根川進先生の「多様な抗原に対する免疫応答の仕組み」、山中伸弥先生の「iPS細胞」、福井謙一先生の「フロンティア軌道理論」など、優れた業績はみな“一言”で説明できる明快さがあるんです。優れた業績が評価されるためにはこうした「わかりやすさ」が絶対必要で、これをビジュアルでやってのけた……というのが、鈴木さんの強みなのではないかと思いますね。

独創的な「ピンク」の志野に注目

鈴木藏《志野茶碗》2023年

――では、中野さんがお感じになった、鈴木藏さんの独自性にはどのようなものがあったのでしょうか?

中野:私が惹かれたひとつに、鈴木藏さんの作品の「ピンク」があります。ある「色」が表す意味は、文化によって差がありますし、時代によっても変わっていきます。たとえば、キリスト教文化圏では、昔は「青」が女性を表す色でした。マリアの色ですね。逆に日本では、平安時代にはピンクに近い「紅梅色」は男性が身につける色として認識されていました。

現代では、ピンクは一般的に女性性を表す色として認識されていますよね。これは、ケネディ大統領の夫人だったジャクリーン・ケネディが公の場でピンク色のスーツやドレスを好んで身にまとったことがきっかけだったとされています。

鈴木藏《志野花器》1998年

中野:私は、鈴木さんにとって「ピンク」がどんな色として映っていたのか気になりました。鈴木さんも、現代においてピンクが女性性を帯びる色であるということは意識されていたと思います。それを加味した上で力強さをどう表現すればいいのか。どことなく肉感を思わせるようなものをどうしたら削ぎ落とせるのか。そういったポイントも綿密に計算された上で、独特の「ピンク」を志野で編み出されたのだと思うんです。

美濃地方には志野より古い「瀬戸黒」というジャンルもあります。当然、郷里にゆかりのある「黒」のうつわもやってみたいというお気持ちもあったと思います。その中で、志野の「ピンク」にこだわって表現を続けてきたのはなぜなのだろうか?「色」ひとつをとっても、たくさん考察できるところがありました。「色」についての仮説を立てながら見ていくのも面白いかもしれませんね。

工芸に向き合うと脳がミックスされる

丹念に作品と向き合う中野さん

――現在、中野さんは東京藝術大学でアートを研究されていますが、工芸作品を見る面白さはどのあたりにあるとお考えでしょうか?

中野:脳科学的に考えると、脳が感じる「美」は複数のタイプがあるんです。代表的なものを3つ挙げるとすると、まず、自分の主観や好みとして「これはきれいだな、素敵だな」と感じる美しさがあります。次に、「周りの人たちが、これはいいと言うので、きっといいものに違いない」という情報から受け取る美しさ。そして、必ずしも美しいという感じではないのだけれども、新しくて斬新で心を打つもの。美しいというよりかっこいいという感じでしょうか。

近代以前の伝統的な美術作品では、心地よさを刺激するような美しさをもった作品が高く評価されていますよね。これに対して、コンセプチュアルな作品が多い現代アートでは、表現としてはグロテスクだけれども、なぜか心がザワザワして、気になって仕方がない……といった作品が評価される傾向にあります。これらは脳の別々の領域が活性化しているわけです。

鈴木藏《志野水指》1995年

――では、工芸の場合はどうなのでしょうか?

中野:じつは、工芸の面白いところは、これらが分けにくいところなんです。心地よさと斬新さのどちらからも刺激を受けられる。また、工芸の場合は愛でるだけでなく、使う楽しみ、つまり“用の美”も入ってきますよね。「使いやすさはどうなのだろうか?」「買うといくらくらいなのだろうか?」「この作品は~~賞を受賞した作家が作っているらしい」といった、情報も美の判定に大きく関わってきます。様々な「美しさ」が混ざり合っているんですね。

つまり、私たちが工芸を見て感じる美しさ・好ましさの感覚は、人間関係の良し悪しなどを評価する時の感じ方に似ているんです。周囲の人達はあまりよく言わないけれど、「でも、どこか素敵な人だな」と感じたり、必ずしも付き合っていて、心地良いだけの相手ではないけれど、なぜか気になって仕方ないという人に惹かれたりしますよね。いろいろな感情が混ざって脳の中で処理される。人間関係のように、動的に幻惑される面白さというのが、工芸に独特な要素なのだと思います。

中野信子流「やきものの見方」とは

――では、中野さんから、やきものを見る際のアドバイスがあればお願いします。

中野:どなたもそれぞれお好みがあって、「これは素敵だな」と思う気持ちは、たとえ今日やきものを初めて見る人であっても必ず持っているはずです。誰かがこう言ったからいいなというのも良いのですが、「自分はやっぱりこれが好きだな」という気持ちに耳を傾けるのを忘れずにいてほしいですね。

――ところで、脳に良い展覧会の見方もあるのでしょうか?

中野:若干、期待されているお答えと違うかもしれませんが、脳にいいよって言われて見に行くと、魅力が半減しませんか? 例えば「この食品は脳科学的にいいよ」と言われると、その美味しさは目減りしてしまいます。脳にいいかどうかわからないけど好きだからどうしても食べたい、という方が美味しく感じられたりする。脳科学的にいいよ、というのはそれを味わう上でプラスに働くとは限らないんです。

鈴木藏《志埜丸皿》、《志埜大皿》すべて1990年、阿含宗本山蔵

中野:アートと向き合うときも、これと同じだと思うんです。「脳科学的にいいから、この展覧会に行ってみたら」と言われると、ちょっと微妙ですよね。もちろん、ひとつの作品を様々な角度で味わうことで自分が耕されるという体験は本当に素晴らしく、とても脳に良いということはお伝えしたいのですが、でも、そんなことより「まずは作品を見てよ」という気持ちが私は強いですね。美しい」にまず打たれていただきたいです。

展示室を回れば、「どうして人はこんなものを作ることができるのだろう」と感動できる作品が必ずひとつはあると思うんです。まずは、見て良かったなという体験をしてもらえることが一番いいのではないかと思いますね。

――最後に、展覧会の来場者に一言お願いします。

中野:基本的に、人間は毎日新しいことをしたい生き物です。同じような日々が続いていくことを、私たちは嬉しく思わないんですね。人間の脳の基本的な仕組みは、新しいものに触れた時に喜びを感じるようにできています。だから、本当は誰しも新しいことをしたい。でも一方で、年齢を重ねていくうちに、人に迷惑をかけたり、傷つけてしまった記憶が足かせとなって、新しいことに挑戦することに及び腰になってしまいがちです。

本展を見ると、そんなモヤモヤとした閉塞感を打ち払うことができるかもしれません。鈴木藏さんは、普通の人が仕事を引退するような年齢になってもなお新しい表現を追求し、90歳になった今でも研鑽を続けていらっしゃいます。毎日毎日新しいことに挑戦していらっしゃる姿がとても印象的ですよね。勇気づけられる作品もたくさんあったと思います。人間国宝・鈴木藏のチャレンジから刺激を受けることで、また新しいことに挑戦できるようになるかもしれません。挑戦し続けること自体が、多くの方にとって、きっと素晴らしい宝になるのではないかと思います。

中野信子氏・プロフィール

1975年 東京都生まれ
1998年 東京大学工学部応用化学科卒業
2008年 東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了

フランス国立研究所ニューロスピンにて博士研究員として勤務(2010年帰国)。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授研究・執筆を中心に活動する傍ら、TVやウェブメディアでもコメンテーターとして人気を集めている。
また近年は、東京藝術大学の博士課程にて長谷川祐子氏の元で美術も学び、創作活動にも取り組んでいる。

展覧会基本情報

卒寿記念 人間国宝 鈴木藏の志野展
会期:2024年3月19日(火)- 6月2日(日)
会場:国立工芸館(石川県金沢市出羽町3-2)
休館日:月曜日(ただし4月1日、8日、29日、5月6日は開館)、5月7日
開館時間:午前9時30分-午後5時30分 ※入館時間は閉館30分前まで
公式HP:https://www.momat.go.jp/craft-museum/exhibitions/557

文・撮影/齋藤久嗣

 

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