A:日出町の「ひじまち観光情報公式サイト ひじナビ」の記述も引用しておきましょう。
立石分領に関連して興味深い説が存在します。それは木下延由が豊臣秀頼の子・国松(つまり豊臣秀吉の孫)だったのではないかということです。
国松は、大坂夏の陣(慶長20年・1615年)による豊臣家滅亡の折、落城した大坂城を脱出したものの、その後徳川方の捜索隊に捕まり斬首されたといわれていますが、実は密かに逃げ切り、薩摩藩の船に乗って九州の地へ渡り、祖父・秀吉の縁類を頼って日出藩に身を寄せたのではないか、との説があります。
この説が真実であるとするなら、延俊が長子でもない延由に1万石もの領地を与えようとしたことにも説明がつきます。また、延由の名が幕府側の記録では「延次」となっている(日出藩側が意図的に違う名前で申告していた)など、延由の出自には謎が多く、これも上記の説に説得力を持たせています。
なお、木下延由の位牌に「国松」の文字が記されている、延由の出自に関する木下家一子相伝の言い伝えがあるなど、興味深い話が数多く残されていますが、いまだ真偽は定かではありません。
I:生きていて欲しい、という思いがこういう伝承を生んだのか、はたまた本当に落ち延びたのか……。今回の大河ドラマから派生して日出のお話が出るとは思いもよりませんでしたが、改めて日出に行ってみたくなってきました。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり