ライターI(以下I):大河ドラマ『どうする家康』から将来の時代劇スターが誕生しました。武田四郎勝頼を演じた眞栄田郷敦さんです。多くの人が賛同してくださるのではないでしょうか。
編集者A(以下A): 風格と威厳を感じさせてくれる佇まい、重厚な台詞回しに、見るものの心を揺さぶる迫力の眼力。ほれぼれするくらい勝頼役がはまっていました。赤毛兜を身につけての登場も多かったですが、もっともっと見ていたい役どころでした。
I:その武田勝頼が最期を遂げました。欲をいえばもう少し尺をとってほしい感じでしたが、眞栄田郷敦さんの熱演のおかげで、心に迫りくる感動シーンになりました。その郷敦さんから勝頼の最期についてのコメントが寄せられました。
勝頼は四男で、そもそもは自分が武田家を継ぐと思っていなかった人。上の3人が亡くなったり出家したりで自分の順番が回ってきたので、武田家を継ぐということに対して、複雑な思いもあったのかなと思います。そんな中、偉大な父信玄(演・阿部寛)から掛けられた「そなたは、わしのすべてを注ぎ込んだ至高の逸材じゃ」という言葉。自信になったでしょうし、父亡き後もずっと心の支えにしていただろうと想像しました。
A:勝頼の長兄義信は、今川義元の娘を正室としていました。義父義元が桶狭間合戦で落命するわけですが、信玄は、嫡男の嫁の実家今川家に救援を送るどころか、逆に今川領を切り取ることを決断します。これで信玄と嫡男義信の仲は決定的に決裂し、最終的に義信は自害に追い込まれました。
I:次兄信親(竜宝)は、目が不自由であったため出家し、三兄信之は夭逝していました。そのため四男の勝頼が武田家を継承したという流れなんですよね。そうした家督継承の経緯を踏まえた上で、郷敦さんのコメントの続きをどうぞ。
父からは「わしの真似をするな。そなたの世を作れ。そなたの器量はこのわしをはるかに凌ぐ」という言葉も貰いましたが、勝頼はきっと、生涯父のことは意識し続けていただろうと思います。そんな自分からやっと変わることが出来たのが、第 26 回での勝頼のラストシーンだったのかなと。信じて付いてきてくれた仲間を逃がしても、自分は戦い抜いて散ると覚悟を決め、「我こそは、武田四郎勝頼である」と言って敵に立ち向かっていくシーン。最後の最後は、自信を持ち、戦を楽しみ、父を意識するのではなくひとりの武将として生き、勝頼の道を突き進むことができたのかなと思っています。最期のシーンは監督とも話をして何度か変わりましたが、良い形になったかなと思っています。
A:ラストの〈我こそは武田四郎勝頼〉。この台詞は多くの視聴者の心に印象深く刻まれたはずです。小学生の視聴者などは、眞栄田郷敦さんを見るたびにこのシーンが思い出される「呪縛」に襲われるでしょう。そして郷敦さんのコメントから、ラストシーンは、演出担当と話し合いを重ねて完成させたシーンだったことがわかりました。
I:そのやり取りは、後々の時代劇スターの記録として、きちんと残しておいてほしいですね。
【早くも次回作への期待が高まる。次ページに続きます】