はじめに-江とはどんな人物だったのか?
江(ごう)といえば、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室であったことを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか? もしくは、3代将軍・家光の母であることを記憶している方もいらっしゃるかもしれませんね。
江とは、実際どのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川の行く末を託された浅井三姉妹の末娘(演:マイコ)として描かれます。
目次
はじめにー江とはどんな人物だったのか?
江の生きた時代
江の足跡と主な出来事
まとめ
江の生きた時代
江が生まれたのは、天正元年(1573)。室町幕府15代将軍・足利義昭(よしあき)が、織田信長によって京都を追われ、名実ともに室町幕府が滅亡した年です。
そののち織田信長が戦国動乱を終息させ、後を継いだ豊臣秀吉が天下統一を成し遂げていきます。こうした日本史の大きな流れに、江も深く関わっていくこととなるのです。
江の足跡と主な出来事
江は天正元年(1573)に生まれ、没年は、寛永3年(1626)になります。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
小谷城城主・浅井長政とお市の3女として誕生
天正元年(1573)、江は近江(=現在の滋賀県)小谷城城主・浅井長政(あざい・ながまさ)と織田信長の妹・お市の3女として誕生します。名は、達子(たつこ)と言いました。通称は、お江(ごう)、お江与、小督(おごう)があります。
江が誕生した年の8月、小谷城は信長によって包囲されます。落城に際し、江は、母・お市と2人の姉である茶々(のちの淀殿)、初(のちの京極高次の正室、常高院)とともに脱出。その後は、清洲城で育てられたと言われています。
母について越前北ノ庄へ、しかし…
天正10年(1582)、本能寺の変で信長が自害します。その後、母・お市は、信長の有力家臣・柴田勝家に再嫁することに。江たち3姉妹は、母・お市にしたがい、勝家の居城・越前北ノ庄(きたのしょう)へと移り住みました。
しかし、翌天正11年(1583)、勝家は賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで秀吉に敗北。母・お市は勝家とともに自刃しました。この時、勝家はお市に城を出るよう説得したと言いますが、お市はともに自害することを主張したと伝えられています(『秀吉事記(ひでよしじき)』より)。
その後、江たち3姉妹は、秀吉に保護され、引き取られることになるのです。
【3度目の結婚で秀忠の正室に。次ページに続きます】