3度目の結婚で秀忠の正室
江は、尾張大野城主佐治一成(さじ・かずなり)と結婚しました。しかし、秀吉の意向により離縁することに。
その後、秀吉の養女となり、亀山城主・羽柴秀勝(はしば・ひでかつ)と結婚します。女の子(のちに秀忠の養女となる、九条幸家室・同道房母)を一人儲けましたが、秀勝は朝鮮出兵時に病死してしまうのです。
そして文禄4年(1595)、秀吉の計らいにより、徳川秀忠と結婚します。この時、秀忠は、江よりも6歳年下でした。秀忠との間には、家光、忠長、千姫、和子(のちの後水尾天皇<ごみずのおてんのう>中宮東福門院<とうふくもんいん>)ら2男5女を儲けます。
次男・忠長を偏愛した?
江には、「秀忠が側室を持つことを許さなかった」とか、「次男・忠長を偏愛し、家光ではなく忠長を将軍職に就けようとした」などという、どちらかというとネガティブな逸話がいくつか残されています。しかし、これらの真偽は、いずれもはっきりとはしていません。
江戸城で死去
寛永3年(1626)9月15日、江戸城で亡くなります。54歳でした。没後に、従一位(じゅいちい)が贈られています。
法名は崇源院殿昌誉和興仁清。墓所は、東京芝の増上寺です。
まとめ
生まれて間もなく父を亡くし、その数年後には母も亡くした、江。3度の結婚を経験し、最後の夫となる秀忠は、徳川幕府2代将軍となり、長男の家光は3代将軍となります。こうしたことを振り返ってみても、江は激動の人生を送ったと言えるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/京都メディアライン
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)