ライターI(以下I): 9月24日放映の第36回は家康(演・松本潤)側室の於愛の方(演・広瀬アリス)が主人公の回になりました。サブタイトルが「於愛日記」ということで、於愛の方の来し方を振り返る展開になりました。
編集者A(以下A):本作は時折『おんな太閤記』(1981年)、『利家とまつ』(2002年)、『功名が辻』(2006年)などの「戦国女性大河」の系譜に連なる回が登場しますが、第36回はそうした回になりました。
I:なんだか「徳川家康のおんなたち」というような雰囲気でしたが、これはこれで面白いですよね。明るく朗らかでまるで太陽のようなキャラクターだった於愛の方が、実はムリして笑顔を作っていたことなどが明かされました。戦国時代に生きた女性たちの光と影に触れた思いがして、胸が締め付けられました。合戦シーンを望む声もあるのでしょうが、人間の心の機微を描く展開、私は好きです。
A:前年の『鎌倉殿の13人』で武士による幕府の成立が描かれました。鎌倉幕府から室町幕府に至っても合戦が無くなるということはなく、応仁の乱以降は長い戦国時代に突入しました。長く続いた戦国を終結させたのが徳川家康です。その徳川家康が40年ぶりの大河ドラマ単独主人公。私は、松本潤さんが、1987年の『独眼竜政宗』の渡辺謙さん、1988年の『武田信玄』の中井貴一さんのような重厚な家康を演じ切って、平和な世がいかにして築かれたのか――、北条義時と徳川家康で2年にわたる歴史叙事詩になると期待をしていました。正直いえば肩透かしをくらった感もあるのですが、今週の第36回は広瀬アリスさんの好演もあって、「こういう展開もいいかも」と思ったりしました。
武田の間者、千代の再登場は必要だったのか?
I:とは言いながら、ちょっとびっくりしたというか、「え、なんで?」と思ったのが、千代(演・古川琴音)の再登場です。なんと鳥居彦右衛門(演・音尾琢真)のもとに匿われていたのです。千代といえば、武田信玄が放った間者として、三河の一向一揆の際には一揆側を扇動する役割を担い、以降も武田の間者として活動します。家康正室の瀬名(演・有村架純)の「慈愛の国構想=戦国ユートピア構想」では、瀬名に賛同して武田勝頼(演・眞栄田郷敦)を説得する側に回っていました。その千代が鳥居彦右衛門とくっつくとは!
A:これには、元ネタがあります。江戸中期の『常山紀談(じょうざんきだん)』に「馬場美濃が女召し出さるる事」と題して、家康が、馬場美濃守の娘を探し出すように命じたものの、鳥居元忠が、「探したけれども見つからなかった」と家康に報告したことが記されています。
I:鳥居元忠が、実は自分の妻にしていたというエピソードですよね。そのエピソードを千代にアレンジしたわけですね。
A:実際にあるエピソードを千代という武田の間者に被せてしまったという、ちょっとややこしい仕立てになっています。正直、「そんなことしなくていいのに」と感じています。
I:鳥居彦右衛門は、この後、感動場面が待っていますからね。変化球を入れずに淡々とストレート勝負でいいのではないかということですよね? 私が思うに、今回は於愛の心情を描く回だから、同じように戦国において己の方法で戦いながら、戦のない世を願った女たちの一風景として描いているのではないでしょうか。本多忠勝(演・山田裕貴)の娘稲(演・鳴海唯)の話もその流れの中にあるのかなと。Aさんのいう「戦国女性大河」の要素をこの1話にぎゅっと凝縮した結果だと思いました。
A:なるほど、そうすると千代の登場もより意味のあるものになりますね。
I:本多忠勝の娘の稲の輿入れの物語も、家康が真田ともめていて、その緩衝材として稲のエピソードが挿入された側面もありますし、これはこれで面白かったですよ。かわいがって育てた娘が他家に嫁ぐ。涙を流す本多忠勝に感情移入したお父さんは多かったのではないでしょうか。
A:芦屋雁之助さんの名曲『娘よ』(1984年)をバックで流してもいいくらいでしたね。さて、一般的に小松姫といわれる本多忠勝の娘ですが、遺されている肖像画が甲冑姿だったり、劇中で本多忠勝が言っていたように「じゃじゃ馬」だったのでしょう。
I:よくよく考えると、そのじゃじゃ馬とおしどり夫婦になった真田信幸(演・吉村界人)っていうのはやっぱり大物なのかなと思ったりします。
【家康の正室として扱った粋なナレーション。次ページに続きます】