豊臣政権を陰ながら支える

鹿苑僧録として、五山十刹をまとめ上げていた西笑。一方で、時の政権とも深く関わりを持つようになっていました。西笑が対外交渉をもって仕えた人物が、秀吉です。西笑は、秀吉の政治顧問や外交役を務めていたと言われています。語学にも長けていたとされ、明や朝鮮との外交書の起草などにも携わったそうです。

文禄元年(1592)から始まった「朝鮮出兵」の際には、南禅寺(禅寺の中でも最高の格式を持つ寺)の玄圃霊三(げんぽれいさん)らとともに、肥前国(現在の佐賀県)名護屋に赴き、出兵した武将たちへの檄文を作成しています。

一説では、秀吉の「朝鮮出兵」のきっかけを作ったのが、西笑であるとされています。真相については分かっていませんが、文禄5年(1596)、明の国書を大坂城にて読んだのが西笑で、その内容の一部に秀吉が立腹したという逸話があります。

秀吉の朝鮮出兵に対する意欲をかきたてるため、西笑が入れ知恵をしたという見方もできるかもしれません。

家康に仕える

豊臣政権下で外交役として活躍した西笑。続く家康の時代でも、外交顧問として重用されました。鎖国体制になるまで積極的に行われた朱印船貿易の際には、朱印状(朱印を押した公文書)の作成に尽力したとされます。

朱印船(荒木船)

対外交渉のほかにも、畿内の寺社の統轄を任され、「日本寺奉行」と呼ばれるほど、大きな影響力を持っていたそうです。対外交渉や寺社統轄など、幅広く活躍した西笑。慶長12年(1607)、60年の生涯に幕を閉じることとなりました。

まとめ

秀吉や家康に仕え、寺社行政だけでなく、対外交渉においても力を発揮した西笑承兌。「朝鮮出兵」を計画していたかどうかは分かりませんが、実行に移らせることができるほど、非常に多才で力を持っていた人物であると言えるでしょう。

時の権力者を支え続けた西笑は、陰の実力者だったとも言えるかもしれません。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/とよだまほ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)

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