文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1142977)紹介したように、ジャズ・ヴォーカルの世界標準の言語・共通言語は英語であり、その点からすると日本語は「超マイナー言語」といえますが、それを「武器」に世界進出を果たしたジャズ・ヴォーカリストがいます。その名はナンシー梅木。名前から想像されるアメリカ生まれの日本人ではなく、本名は梅木美代志。日本で活動し、実績と人気を得たあとに渡米し、大成功を収めました。

ナンシー梅木は1929年(昭和4年)北海道小樽市生まれ。1948年に東京で活動を始め、角田孝&シックス、レイモンド・コンデ&ゲイ・セプテット、与田輝雄とシックス・レモンズなどに参加・共演。また多くのラジオ番組や映画『青春ジャズ娘』(53年)に出演するなど、大きな人気を博しました。ジャズ専門誌『スイングジャーナル』の人気投票では51年〜53年まで女性ヴォーカルの第1位を獲得しています。その頃の演奏は編集版CD『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954』(ビクターエンタテインメント)で聴くことができます。そこに収録されているレパートリーはジャズ・スタンダードが中心ですが、「アゲイン」を全編日本語で歌い、「マイ・フーリッシュ・ハート」や「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」を日本語と英語半々で歌っていたりと、当時の日本のジャズ状況が反映されている興味深い内容になっています。

ジャズ・ヴォーカルのスターとなった梅木ですが、1955年7月の浅草国際劇場でのコンサートを最後に、活動の拠点をアメリカに移します(ちなみに秋吉敏子の渡米は翌56年のこと)。当時の『スイングジャーナル』や『ミュージックライフ』で本人の寄稿やインタヴューが頻繁に紹介されていることからもうかがい知れるように、彼女のアメリカでの活動は大きな期待と注目を集めていました。そして彼女はその期待にすぐさま、しかも見事に応えました。

梅木は渡米翌年の56年初頭にCBSテレビの人気番組『タレント・スカウツ(Talent Scouts)』に出演しました。この番組はその名の通りのオーディション番組で、司会者はアーサー・ゴッドフリー。彼は毎晩放送の冠番組を持っている、当時大人気のエンターテイナーです。そこに梅木は出演し、ゴッドフリーと審査員から圧倒的な評価と支持を得ました。彼女がそこで歌ったのはジャズ・スタンダードの「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」。CD『ミヨシ・シングズ・フォー・アーサー・ゴッドフリー』(マーキュリー)のオリジナル・ライナーノーツによれば、「エキゾチックなアクセントで魅力が高められた完璧な英語」で歌われたとあります。衣装こそ着物でしたが、英語歌唱という「世界基準」で認められたのです。この直後から梅木はゴッドフリーの番組に5週連続で出演していますので、その印象や反響は相当なものだったのでしょう。


ナンシー梅木『シングズ・アメリカン・ソングス・イン・ジャパニーズ』(Mercury)
演奏:ミヨシ・ウメキ(ヴォーカル)、ユーゴ・ペレッティ・アンド・ヒズ・オーケストラ
録音:1955〜56年
原題は『ミヨシ・シングズ・フォー・アーサー・ゴッドフリー』。日本盤は「ナンシー梅木」名義ですが、梅木はアメリカではナンシーは名乗らず「ミヨシ・ウメキ」でした。録音はニューヨークにて。

当然ながらレコーディングのオファーもあり、大手マーキュリー・レコードと契約。その1作目が『ミヨシ・シングズ・フォー・アーサー・ゴッドフリー』。ミヨシが自分を見出してくれたゴッドフリーのために歌う、という構図なのですが、このサブタイトルは『ミヨシ・ウメキ・シングズ・アメリカン・ソングス・イン・ジャパニーズ』なのです。ゴッドフリーは彼女の日本語での歌唱も聴いたのでしょう。それにはとくに魅了されたと同ライナーにあります。ゴッドフリーは彼女のさらなる「武器」として「日本語」を勧め、それに生かす形でアルバムは制作されたのでした。

収録曲はスタンダード・ナンバーが中心。番組で歌った「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」はその再現としてか全編英語ですが、アルバム冒頭の「イフ・アイ・ギヴ・マイ・ハート・トゥ・ユー」から、「イン・ザ・ムード・フォー・ラヴ」「ティーチ・ミー・トゥナイト」「スワンダフル」「オーヴァー・ザ・レインボウ」など有名曲が、「日本語混じり」で歌われているのです。おそらく日本語の意味は当時のリスナーには伝わっていないでしょうが、「エキゾチックなサウンド」としての効果は抜群だったと思います。日本語がわかる耳にとっては、「ティーチ・ミー・トゥナイト」の途中で「今晩きっと、きっと教えてちょうだいね」とセリフ的に入るのはちょっとやりすぎの感がありますが……。

マーキュリー・レコードとしては人気者ゴッドフリーも巻き込んだ特別企画アルバムとなったのですが、内容としてはじつはこれ、渡米前の「ナンシー梅木」のスタイルそのものではありませんか。結果的に「素のまま」「いつも」の姿が大きな魅力だったということなのですね。ジャズはまさに「個性」の音楽なのです。50年代半ばですから、のちに名を残す大ヴォーカリストたちがしのぎを削る時代です。これはゴッドフリーの慧眼というべきところです。

その後ミヨシ・ウメキは、57年に映画『サヨナラ』(ジョシュア・ローガン監督、マーロン・ブランド主演)に出演し、東洋人で初めてアカデミー賞を受賞(助演女優賞)。61年にはリチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタインのブロードウェイ・ミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』の主役に起用されるなど(ジャズ・ヴォーカリストではなく俳優として)大成功を収めました。(2007年死去)

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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