文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1137373)の「伝説の検証」からは離れますが、さらに「イパネマの娘」の話題を続けます。案外知られていないかもしれませんが、「イパネマの娘」が初めて発表されたレコードは1963年7月にブラジルでリリースされたドス・カリオカスの『ア・ボッサ・ドス・カリオカス』(Philips)。ドス・カリオカスは1940年代にリオデジャネイロで結成された、演奏もする4人編成のヴォーカル・グループです。またほぼ同時期にはタンバ・トリオやペリー・リベイロもブラジルで録音、リリースしています。もちろんいずれも英語歌詞・英語題名が付く前の「Garota de Ipanema」としての演奏です。『ゲッツ/ジルベルト』(Verve)の録音は1963年3月ですが、発売が64年3月と後になってしまったのでこの順番ですが、アントニオ・カルロス・ジョビン(作曲、ピアノ)、ヴィニシウス・ジ・モライス(作詞)、ジョアン・ジルベルト(ギター、ヴォーカル)のチームによる「ボサ・ノヴァ」の新曲ということで、リオでは大きく注目されていたことがうかがえます。

そして64年に英語歌詞・英語題名による「The Girl From Ipanema」がアメリカで発売され大ヒットするのですが、その要因となったのが「英語歌詞」だったことは前回までに紹介したとおりです。その理由のもっとも大きなものは、もちろんリスナーが歌詞を理解できるということですが、見過ごせないのは、「英語で歌える」ことにより多くのカヴァー・ヴァージョンが生まれたということです。逆にいえば、ドス・カリオカスらのカヴァーがあったのはポルトガル語だったから、ということですね。

1964年、65年に録音された「The Girl From Ipanema」の英語カヴァー・ヴァージョンは、ジャズでもポップスでもたいへん多く、ジャズ・ヴォーカリストをざっと挙げるだけでも、ナンシー・ウィルソン、ペギー・リー、サラ・ヴォーン、エスター・フィリップス、ナット・キング・コール、サミー・デイヴィス・ジュニア、エラ・フィッツジェラルドらの演奏があります。これらの相乗効果で、ヒットが大ヒットになっていったわけです。ヒットが落ち着いた後にも、67年にはフランク・シナトラとジョビンの共演があります。

ここで面白いことに気がついたのですが、女性ジャズ・ヴォーカリストたちはこぞって「替え歌」にしているのです。先に挙げた中ではナンシー・ウィルソン、ペギー・リー、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドが「The Boy From Ipanema」にして歌っています。歌詞の「ガール」が「ボーイ」に、「ラヴリー」が「ハンサム」に変えられているだけなのですが、この違いはじつに大きいように思います。


サラ・ヴォーン『ビバ!ヴォーン』(Mercury)
演奏:サラ・ヴォーン(ヴォーカル)、フランク・フォスター(編曲・指揮)、クインシー・ジョーンズ(プロデュース)
録音:1964年8月13-18日
「The Boy From Ipanema」はここでは「イパネマの少年」という日本語題がついています。英語歌詞の「クワイエット・ナイト」も歌っていますので、明らかに『ゲッツ/ジルベルト』を意識したアルバム。サラの声は、あっさり味のアストラッドの、まさに対極といえる濃厚な味わい。男女入れ替え以上に違う世界になっています。

おそらく、これにはまずアストラッド・ジルベルトの歌との差別化があるのでしょうが、憧れのラヴリー・ガールに近寄れない男性の気持ちを歌うアストラッドと、ハンサム・ボーイとお近づきになりたいと当事者目線で歌うのはかなり印象が異なります。「自分の歌として歌う」というのがジャズ・ヴォーカルの流儀ということなのでしょうか。しかし、この歌はプレイボーイのモライスとジョビンが実在の「ガール」をモデルに作った歌ですから、それを尊重すれば「ボーイ」はあり得ないわけで、英語歌詞にこだわったジョビンはこれらを聞いてどんな気持ちだったのかな。なお、これはこれですっかりスタンダード化しているようで、たとえば2009年のダイアナ・クラール(『クワイエット・ナイト』Verve)など、その後もずっと「ボーイ」は当たり前のように歌い継がれています。名曲はどう歌っても名曲、ということなのですね。

「イパネマの娘伝説」
ボサ・ノヴァ歌姫、アストラッド・ジルベルトの伝説を検証する【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道211】 https://serai.jp/hobby/1134977
ボサ・ノヴァ歌姫、アストラッド・ジルベルトの伝説を検証する(2)【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道212】https://serai.jp/hobby/1136125
ボサ・ノヴァ歌姫、アストラッド・ジルベルトの伝説を検証する(3)【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道213】https://serai.jp/hobby/1137373

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 


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